<書籍紹介>日常が退屈なんじゃない、退屈なものを日常と呼ぶ「日はまた昇る」
毎日な退屈を変えてくれる…………
誰でも理解できるはずの、あまりに単純に羅列する文字列で…………
それが読書であり、ヘミングウェイの矜持。
同じ車両に揺られるサラリーマンでもないのに、あるいは毎日が刺激的なはずの若者なのに、退屈な日常を描いた本を楽しめてしまうのは、やはりそれだけ作者の文才が並外れているからなのか、単に自分がつまらない若者だからなのか、多分どちらも要因でしょうけれど。
世界的な古典文豪の中では最新の作家、ヘミングウェイの一冊を紹介します。
作品紹介
- 作者:アーネスト ヘミングウェイ
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/06/28
- メディア: 文庫
禁酒法時代のアメリカを去り、男たちはパリで“きょうだけ"を生きていた――。戦傷で性行為不能となったジェイクは、新進作家たちや奔放な女友だちのブレットとともに灼熱のスペインへと繰り出す。祝祭に沸くパンプローナ。濃密な情熱と血のにおいに包まれて、男たちと女は虚無感に抗いながら、新たな享楽を求めつづける……。
若き日の著者が世に示した“自堕落な世代(ロスト・ジェネレーション)"の矜持!
自分は海外古典の中でも、ヘミングウェイが最高級に好きです。
普遍的な価値観と情景、情緒あふれた物語。
それでいてヘミングウェイがすごいのは、その敷居があまりに低いこと。
海外古典を初心者に勧めるとしたら、自分の中では「まずはヘミングウェイ」です。もちろん好みは関係なく。
今回はヘミングウェイ最初の記事ということで、その人物と文学性を簡単に説明します。
1, 基礎知識
ノーベル文学賞作家
名前くらいは聞いたことある…………という人は多いかも。
ヘミングウェイについて、本書の作者紹介には次のように書かれています。
ヘミングウェイ Hemingway, Ernest(1899-1961)
シカゴ近郊生れ。1918年第1次大戦に赤十字要員として従軍、負傷する。1921年より1928年までパリに住み、『われらの時代』『日はまた昇る』『男だけの世界』などを刊行。その後『武器よさらば』、短編「キリマンジャロの雪」などを発表。スペイン内戦、第2次大戦にも従軍記者として参加。1952年『老人と海』を発表、ピューリッツア賞を受賞。1954年、ノーベル文学賞を受賞。1961年、猟銃で自裁。
やっぱり目を引くのはノーベル文学賞受賞ですかね。世界中の文学賞の中でも最上位のひとつですから。
しかしヘミングウェイ、この人の受賞と評価された点は、われわれが考える堅苦しいイメージのそれとは少し違います。
つまり文学賞の選考委員って「高尚な文学」に精通した人ばかりなわけですから、そんな「プロが認めたプロ」の文学を、大衆の一介を担う我々に理解できるのだろうかと距離をとってしまうもの。
それがヘミングウェイにだけは通じないんですよね。
だってヘミングウェイは、自分の文学を大衆に浸透させ、一般化させたことが評価されているんですから。
むしろ彼の作品を楽しめないほうが、大衆的でないのです。
いったい何が大衆的なのか。
その最大の要因である文体を探りましょう。
乾いた文体
ヘミングウェイといえば文体、文体といえばヘミングウェイです。
そのヘミングウェイの文体はしばしば、簡潔でシンプルな文体と形容されます。
細かく書きすぎない。
文語表現を利用しない。
心情は必要最低限の描写のみ。
などなど……
……それだけ? と思った方、このシンプルさが当時はどれだけ珍しかったか、同時代の文学を読めばわかります。
ヘミングウェイが出てくる前の文学って、読みにくいにもほどがある……
みなさんだって夏目漱石とか三島由紀夫とか「純文学作家はいちいち言葉遣いが気取ってやがんな」と胸糞悪く思うでしょう(偏見)。
すらすら読んでぱらぱらめくって…………とはいかないし、主人公はいちいち繊細で読んでいるこっちまで疲れる…………
その天邪鬼さが、ヘミングウェイにはまったくない。
今の世界中の文学が読みやすくなったのは、すべてヘミングウェイのおかげなのです。
日本の作家からはどう見られていたんでしょう。
ヘミングウェイの文体からの影響を公言している作家といえば、筒井康隆さんです。
筒井 原田さんは視点がムチャクチャとは言わなかったな。ここの文章は乾いていていいじゃないですか、と言われて。こっちも必死になって考えるわけですよ。“乾いた文章”かと、それでヘミングウェイを読んだんです。彼は一人称のああいう文体でしょう。これでいってやろう。それでやっと成功した。
(「 創作の〝掟〟を打ち破る力」——筒井康隆インタビュー より)
この乾いた文章という表現がすばらしい…………
自分もよくヘミングウェイを形容する時にはこの形容を使わせてもらっています。
それでいて情緒と世界観を、文章から溢れるように書き上げるのですから、こりゃあただものではない。
自分はこの凝った簡潔さの凄味を理解させるのに、こう説明します。
「一般人が真似ると手抜きに見える文体」
他にもハードボイルドというジャンルの元祖なのですが、ここでは割愛します。
2, あらすじ
ひとりの男の視点から怠惰な日常を描いた生活文学。
ありきたりな日常を変えようと、若者たちが自分にできる行動を起こそうとします。
あらすじから順番に説明するのも大切ですが、自分が読んだ限りでは、この作品を他人に勧めるのに、筋書き通りの紹介では魅力を伝えられないように思っています。
なぜなら、この小説を読んだ人が面白いと感じるところは、著者が意図したところではないところにあると思うから。
ですから自分が面白いと思ったところから、偏屈な順序で紹介します。
まずは舞台ですが、一次大戦直後のアメリカなんですね。
馬車が走っていたり、侯爵が若い娘を娶りに来たりと、ストーリーというよりは現代の、特に日本とは全く異なった異国情緒が楽しい。
だからあらすじを詳しく説明しても仕方がないと思ったわけですが。
そして先ほど言った行動を起こすという点ですが、具体的には 作家になる! とか 外国に行く! とか、現代人は「何を大げさな」と思うようなすごくちんけなものなんです。
時代が違いすぎる…………
自分たちは楽しい時代に生まれたのだと、まずはそう思わせられます。
要するに、著者が意図している文学性は、現代人にはほとんど伝わらないと思うんです。
しかしあれが歴史ファンタジーだと思えば、普通に面白い。
当時を生きた人が書くので、現代のどの時代ファンタジーよりもリアルで緻密。
最近の日本人がよく目にする異世界転生より、よほどかこっちの方が異世界です。
現代からすれば海外古典はエンターテインメントと変わらない、というのはよく言う話ですね。
3, 文章表現
乾いた文体の威力
あらためて主人公はジェイクという男…………なんですが、なんとこいつ、序盤数ページにわたってずっとロバート・コーンという友人の生い立ちを説明し続けるので、読み始めた人は必ずコーンが主人公だと思ってしまいます。
(その認識もあながち間違いじゃない。当初は「日常に満足しているジェイク」に対して、「退屈過ぎて耐えられないコーン」の価値観が、ジェイクを徐々に染めていく…………というところから物語は動き始めるので…………)
「コーンは~していた」
「コーンは~になった」
「コーンは~だった」
三人称か…………と思っていたころに突然、
「そうして出会ったのがぼくだ」
お前(語り手)かよ! とツッコんでしまうのは、読んだ人なら分かるはず。
でもこの時に初めてこの乾いた文体の威力を知るんですよね。
つまり語り手の存在感が驚くほどにないんです。
本当に気配がない。
語り手がいたと知ったときって部屋にひとりでいるときに突然、背後から声をかけられたみたいな感じ。
自分は本当に鳥肌が立ちましたから。
ある意味で叙述トリックなんですね。
残忍なラブ・ロマンス
恋愛小説でもある本書では、主人公ジェイクと、その思いをよせるブレット・アシェリーという女性の恋愛模様が描かれます。
ここで大事なのが、ジェイクは戦争中の負傷が原因の性的不能者であるという点。
つまりセックスができないんです。
戦争の影響があることが当たり前の人生が描かれるのは、すべてのヘミングウェイ作品の共通点です。
ヘミングウェイ自身が一次大戦、二次大戦に出兵しています、その人生観がありありとにじみ出ているわけですね。
別にヘミングウェイは戦争の残酷さを書いているわけじゃない。
当時はそれが当たり前だった。
だから無感情で書かれていて、それがぼくらには新鮮なんですよね。
そのため同じくジェイクを好意的に思っているブレッドですが、お互い進展の余地のない関係に鬱屈し、ブレッドはいろいろな男と一緒になりながら、ことごとくジェイクの前に現れます。
ううん、ジェイクの心情が想像に難い…………
なんとなく辛そうなにおいは漂ってくるんですけどね。
とりあいず恋愛においてセックスは超重要というのが分かる。
恋の行方を見守るというのが普通の恋愛小説の読み方ですが、こんな現代日本人とかけ離れた人たちの恋愛、読んでいられるだろうか…………
しかしなんと、そんなものも「読めるぞ読めるぞ」と次々にページをめくることができる。
どうしてってそりゃあ…………
乾いた文体ですよ(もう強調しない)。
やっぱりこれはすごいです。
その特殊な状況にかかわらず、ジェイクの語りはまったくの無感情に進むんですから。
ぼくはこうした、そしてこうした、そのあとこうした、はたまたこうした…………ふとんに入って寝た。
くらいなもんです。
いかなる読者も「こいつ、俺と違い過ぎて全然わかんねえし、ついていけねーや」なんてことには絶対なりません。
だって何も言わないんですから。
そしてときどき発される
「ぼくは~と思った」
の一文がものすごく価値のある一文になる。
ほんのたまに教えてくれるジェイクの気持ち。
それも複雑すぎない、簡潔な一言で教えてくれるので、読者も全神経を集中させて想像しようとします。
「僕は悲しくなった」
どんな悲しさだろう…………こんなもんか、あるいはこんなかんじか、はたまた…………
簡潔さが逆に読者を魅了するんですね。
しかし逆に言えば、読者が能動的にジェイクの語りを聞こうとしないと、楽しめないとも言い換えられます。
主人公の性格が合わない、ってことがない分、自分から合わせにいく必要があるわけです。
楽しみ方が読者の読解力に由来する。
誰でも楽しめるものって、上級者には退屈に思えるものがほとんどですが、ヘミングウェイの作品は人によってそのレベルが変化するんですよね。
これが自分のヘミングウェイ最高の原点になっています。
これが二十世紀最高の文体と言われた、乾いた文体の文学なんです。
おわりに
これが評価されてノーベル賞に至ったのですから、ヘミングウェイを語るうえで欠かせない一冊。
けれど自分は「日はまた昇る」の方が好きだし、まず勧めるならこれ。
それは日常の退屈さというテーマが全人類の共通事項だから。
先ほどはテーマが伝わらないといいましたが、それでも作品内で言及はされます。
少なくとも考える機会は与えてくれるわけですね。
自分は最も普遍的な楽しみ方をできる作品が、ヘミングウェイの中では本作だと思っているんです。
そして乾いた文体の魅力を存分に感じることができる、とも。
万人向け古典、一度は読んでみてください。
ちなみに自分が個人的に最も好きなヘミングウェイ作品は「武器よさらば」です。
そちらも興味があればぜひ。
どうせいつかは記事にしますけど。