終戦日と原爆のあれこれ
8月15日で終戦の日一色ムードなので、とりあえず終戦に触れておく。
台湾人の実業家・許文龍は太平洋戦争について、
「日本が勝っていれば天下太平だった」
と語っていたが、まったく頷くことはしなくとも、今より平和だったのは間違いあるまい。
もとい、平和を「天下太平」と表すのがいかにも日本人らしいので、俺も次から「天下太平」と表現することにする。
戦時中の日本の善悪や、戦争の美化云々を語らせると、俺は陽炎が沸き立つくらいに熱くなってしまうので、ここでは省略いたしますが、とはいえ小説についてばかり語っているこのブログに書き込んでいるのだから、やっぱり文学の側面から戦時中の日本について触れてみようと思います。
第二次大戦に関係した小説で特に好きなのは、少し趣向がずれているんだけども、フィリップ・K・ディックの「高い城の男」とか。
ディックが好きなのはもとい、あれは最高に面白い。
軽くあらすじに触れておくと、第二次大戦で枢軸国(というか日独)が勝ったという架空の未来社会を描いたSF小説。
アメリカは日本とナチスドイツの占領下に敷かれていて、主人公のいる日本占領区画で日本に対するデモを起こしている民衆を描いている。
とっても皮肉な設定なんだが、日本占領下のアメリカは、とにかく治安がいいらしい。
さすがディック、設定をよく描けている。日本は歴史上、いかなる国よりも治安がいいからね。
SF最大の文学賞であるヒューゴー賞の記念すべき第1回受賞作。
映画は去年くらいにアマプラで見たんだけど、うーん、日本人がイマイチでした。
それからノンフィクションをひとつ。
俺が一番好きなノンフィクション作家のノーマン・メイラーは、戦争中の記憶について、
「日本は今まで見てきた中で一番美しい国だった」
と語ったそうだが、あの辛口で罵詈雑言ばかり並べるメイラーにそこまで言わせるなんて、日本はどれほど美しかったんだろう。
そこでメイラーの夜の軍隊を、ここでもう一度読んでみようと思う。
あの残酷でグロテスクなノンフィクション小説は、はだしのゲンよりもずっと凶暴な現実を教えくれた。
誰か忘れたが、アメリカの批評家がこの小説について「美しい描写と文体」と批評したらしいが、頭がいかれちゃってるんじゃなかろうか。それとも日本の翻訳が悪いのか? ノンフィクションで翻訳がずれることなんて有り得ないと思うが。
これを読んで「美しい」と感じるアメリカ人は、第二次大戦に勝利したアメリカに酔っている戦争論者だけ。本当の意味での「戦争好き」。ルーズベルトやスターリンと同じ思想、つまりヒトラーよりも遙か高みにある悪なので、世界中から非難されるべきだと思います。
それから。
俺はいつも「戦前の天皇制の再建」「武士道と愛国思想の復活」を唱えているけれども、これは俺が台湾に住んでいたという経験を持つからです。
俺が住んでいたフーシンルーのすぐ近くには、旧日本軍の基地が記念館になって残されていて、そこの近くの花沢神社では、井上正太郎軍曹(つまりは日本人)が祀られていた。
日本人が祀られるなんて、戦前の日本人がどれほど尊敬されていたか、おそらくは日本人すらも知らないだろう。
俺は台湾のいたるところで、場合によっては学校教育でも、日本の統治がいかに素晴らしかったか聞かされ続けているので、日本の統治を悪く言ったり、あるいは植民地支配をしたなどという嘘八百を語られると、どうしても我慢ならない。
政府はたのむから、従軍慰安婦と南京虐殺だけは絶対に否定し続けなさいよ。
最近、安倍さんがせっかく弔問に言ったばかりの李登輝が悲しむからね。
問題なのは、それが嘘か本当かも知らない、あるいはどうでもいいとすら思っている大多数の日本人の考えなんだろうけれども。
結局、個人の思想なんてのは、あらかたは育ちによって決まります。
つまり、右翼的思想が育ちやすい環境に育ったら右翼になるし、左翼はその逆。
だから思想を持てない人間は、自分の育ちを呪ってください。
外国に行ったとき、思想を持っていないことがどれだけ残念なことなのか、思い知ることになるよ。
最後に。
原爆を投下したアメリカは、ドイツよりもずっと悪です。
スターリンは20万人の思想家を殺し、毛沢東は50万人の国民(特にエリート)を殺したけど、あいつらの方が悪じゃないんか?
原爆は2日で20万人以上殺したが、あれはヒトラーの何十倍も悪だろうが。
俺は原爆の恨みを絶対に忘れないよ。
早く軍を持って、アメリカと中国に対抗できる国に、日本がなってほしいものです。