<書籍紹介>戦争はときとして、社会と個人を根本から変え得る「太陽の帝国」
最近に発売された書籍から。
ほんとうはそれが作品紹介ブログの仕事なんですけどね。
そしてこれは新約決定版ということで、旧約を読んだことがない方にもおすすめ。
二十世紀の英文学の傑作を紹介します。
作品紹介
内容(「BOOK」データベースより)
1941年、第二次世界大戦の波が押し寄せつつある国際都市上海の共同租界。イギリス人少年ジムは、無邪気に零戦や模型飛行機に心を惹かれる日々を送っていた。だが、日本軍の侵攻によってすべては一変する。両親とはぐれひとりぼっちになったジムは龍華収容所へと送られ、長期の拘束を通して“人間のすべて”を学び成長してゆく。SFの巨匠バラードの原点となった傑作、新訳決定版。
反日小説じゃないのか、これ…………
これがあらすじだけを読んだ友人の口から漏れた言葉でした。
自虐史観にとらわれたり、逆にその反動の「戦時中の日本擁護派」なんかもうるさそうですが、ご心配なく。
日本軍の善悪は述べられていません。
これは急変する社会を描くうえで、日本軍を持ち出すのが最も有用だったというだけ。
というのもこの著者のバラード、イギリス人でも二次大戦中の上海(当時はイギリス領)生まれなんですね。
著者の経験が反映された小説だけあって、架空社会でありながらひどく現実的。
作風にも、ニューウェーブと写実主義が混同した独特な文章が強くあらわれ、著者の特徴である「終末的世界観」を楽しむことができます。
1, 終末的世界観
世界観…………小説の世界の強さを感じるうえで、これほど優れた作家はそういるものではありません。
バラードの特徴は、感覚と理論と文学描写で社会を綿密に描いた後、その社会を壊すこと。
あらゆる社会を描いたうえで、最後はその社会が崩壊するんですよね。
それが人類の滅亡をよくあつかっていた黎明期のSFに通ずるところがあって「SF作家」の仲間入りをしています。
バラードの提唱したSFは黎明期のそれとは一線を画しているのですが…………詳しくはまた別の記事で。
バラードはあくまで社会の終焉を描くのであって、人類の滅亡を描いているわけではないんですが、読み終えると決まってこの世界に先はないと思わされる…………そのときの恍惚とした読了感が、バラードの本の最大の魅力なんです。
というよりはその読了感、つまりラストを楽しみに読んでいる節も大きいわけですね。
社会が崩壊するなんてバッドエンドなの? と思う人が多いようです。
そこに疑問を抱けるのがうらやましい。
それを考える前にバラードを読んでしまうと社会の終焉=魅力的世界としか認識できなくなります。
自分はバラード作品によって価値観が麻痺していますから、その点、未読者の方が作品を冷静に分析できるかもしれません。
これはバラード好きの人間が偏見だけで書いた、バラードを神格化する紹介だと、そう思ってください。
2, あらすじ
舞台は1941年の上海。
実はこの舞台設定の絶妙さがバラードの特徴でもあります。
何度も言うようですが、バラードの物語では、社会が変容し、異化し、崩壊する。
まずはその変容を描く上で、この作品では「日本軍の侵攻」が使われていると上述しました。
つまり日本軍の侵攻直前が、物語の開始地点です。
この社会が動き出す直前から描く手法は、バラードが元祖といえるでしょうね。
知らない人のために、第二次世界大戦の基礎知識を少し説明します。
第二次世界大戦は1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことで、その火蓋が切って落とされました。
日本がドイツと同じ枢軸国側として参戦していたことはみなさんも詳しいと思いますけれど、実はこの開始時点では、日本は参戦していません。
当時の首相である近衛文麿は、仲間とはいえあまりに身勝手な行動をするナチスドイツを不安に思い、干渉しないという態度をとっていたからです。
このころの日本では、ドイツに便乗してともにソ連に攻め込む派と、ソ連や西欧がドイツに気をとられている隙に中国や東南アジアに進出する派に分かれていました。
そして日本は後者をとるも、日本を警戒していたアメリカに阻まれ、経済制裁を受けたことに我慢ならず開戦に至ったわけですね。
ですから日本が参戦するまでのわずかなラグが、この物語の序盤の独特な社会の空気感を演出している。
第二次世界大戦が始まったことは知っていても、それはあくまで遠いヨーロッパのこと…………でもここもいつ戦場になるのか分からない、そんな当時の上海。
歴史的背景を知っていると、非常に緊迫した状況であることが分かるんです。
そんな社会を生きる主人公のジムは、零戦や模型飛行機に憧れを抱いている少年。
日本最強の零戦はかっこいいですからね。気持ちはよく分かる。
このテクノロジーへの憧れというのが元祖SFって感じでいいですね。
このSFの主流の血を受け継いだバラードSFを読めるのは、とりわけ長編では、まだ従来のプロトタイプから脱していない初期の本書くらいのものです。
これからバラードはどんどんとその作風の個性を強め、正統派SFの道をはずれていくので。
バラードのSFはSFっぽくないと思っていたSFファンの方も、本書を読めばバラードが紛れもなくSF作家であったことが分かると思います。
そして上海は、日本軍の侵攻で一変する。
混乱する都市国家と民衆の中で、ジムは親とはぐれてしまい、
つまり拘束されたわけです。
刑務所のような労働環境に身を置くことになる。
そこでの体験が本書の文学テーマです。
これ以上はネタバレになるので言えませんが、やはりまだ未熟なころのバラード文学は右往左往して面白い。
そして空気銃、
バラードの代表作の「破滅三部作」は舞台がアメリカですからね。それでは体験できません。
バラードの世界をぜひとも体験してみてください。
おわりに
バラードにはあまりに有名な言葉があります。
従来の文学を塗り替えた、バラード文学を表す言葉が。
もし誰も書かなければ、私が書くつもりでいるのだが、最初の真のSF小説とは、アムネジア(健忘症、あるいは記憶を失った)の男が浜辺に寝ころび、錆びた自転車の車輪を眺めながら、自分とそれとの関係の中にある絶対的な本質をつかもうとする、そんな話になるはずだ。(Wikipediaより引用)
最初期の本作からすでに、この文学は表現されています。
この言葉が意味するところを、ぜひとも自分で読み取ってみてください。
ちなみに太陽の帝国は映画化もされています。
それも、かのスピルバーグ監督によって。
それを見てみるのもいいかもしれないですね。
自分は原作を読んでから見ることを勧めますけれど。
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2012/12/05
- メディア: Blu-ray