読書家のための偏見作品紹介

主に小説の紹介、書評で人生を設計したい

芸術を評価する人間は、リーダーとして大成する

着岸したのに上陸できない虚無な時間が続く。

 

 

しかし陸がすぐ近くにあるというのは、ある程度のストレス緩和にはなるらしい。

 

今日は少し気分がいいから。

 

 

ダイヤモンドプリンセス号の乗客みたいな気分を味わっている俺たちに、午前は有難い話を聞く時間が与えられる。

 

 

 

なんだが慰問を受けているようだ。

 

こんなことを受けるなら、刑務所には入りたくないなあ。

 

 

 

機関長はただ単にぐだっていただけだが、船長ともなれば鬱陶しさは桁違い。

 

メモを取りに帰れと言うずうずうしさ。

 

 

 

とはいえ、これくらいやってもらった方が、こっちも少しくらい意味のある時間を過ごしている気がしてくるので、まあ良かったのかも知れない。

 

 

 

最前列にいるせいで、訳の分からんタイミングで指名が入る。

 

 

 

「では、目の前にいるふじきくん」

 

 

 

なんで俺のアダ名知ってんだ。

 

 

 

この船で知ってるの、実習生でも2人くらいだと思うけど。

 

 

 

当てられたことにはいい気はしないが、皮肉にも船長との距離が縮まった感じ。

 

何て答えたのか覚えてないが。

 

 

 

話が終盤にさしかかってきたころ、ようやく話が船から離れてくる。

 

 

高年者の人生哲学みたいな。

 

あるいは、自分の話がしたいだけの自慢なのか。

 

 

 

「人の気持ちを理解するには、本を読むことです」

 

 

 

うーん、言ってることは正しいんだけどね。

 

 

 

その正誤に関わらず、どんな理由であれ、本を読ませようとしてくる大人は嫌いなんだ。

 

 

 

夏目漱石の話から始まり、小説こそが著者や主人公の体験を追体験するものだと語る。

 

 

 

ありきたりな理解だなあと思いながら聞いている矢先、だんだんと小説の理解は具体的になり、作品紹介みたいになってくる。

 

 

 

まずは伊藤左千夫の「野菊の墓」。

 

 

偶然も偶然、俺はちょうど1ヶ月前に、父親からもらって読んだばかり。

 

 

「あれを読むとね、私はいつも涙するんだけどね」

 

 

 

嘘だろ……

あんな御涙頂戴の元祖みたいな作品に……

 

 

 

思ってたほど読書ができない人なのかと疑り始めたが、そのあとに三島由紀夫の「潮騒」を挙げたのは、まあまあ評価できるセンス。

 

 

 

金閣寺」を勧めるにも、あれは犯罪小説でもあるし、少し難し過ぎる。「仮面の告白」は若過ぎる、芸術的過ぎるし、「憂国」や「豊饒の海」を大衆に勧めるなんてもっての他。

 

 

なるほど、潮騒を恋愛小説として並べるのか。

参考になるな。

 

 

 

「日本人で唯一のノーベル文学賞を受賞した川端康成さんの『伊豆の踊り子』『雪国』とか」

 

 

 

え、大江健三郎が忘れられてる。

 

まあ大江は嫌いなのでスルー。

 

 

 

ちなみにイギリス在住の作家も受賞している、という船長の説明はおそらく、日本人の両親を持つカズオ・イシグロのことだろう。

 

 

 

俺はイシグロがノーベル文学賞を取る前に、既に有名だった「わたしを離さないで」を読んで、つまらないと思ってから読んでない。

 

 

 

そういや大学の健康診断で会った文学部の学生が、順番待ちの時に黙々と「忘れられた巨人」を読んでいたが、あれは面白かったんだろうか。

 

 

最後に船長が「人間の条件」を挙げる。

 

 

え?

この人、ハンナ・アレントなんか読んでんの?

 

 

 

へえ、アレントか。

全部理解できた自信はないけど、結構すごい本だったよなあ。

 

 

 

と、思ってたら、まさかの五味川純平の方。

 

 

 

くそ、そっちかよ。

文庫で6冊くらいあったし、2冊くらいでやめちゃったよ。

 

 

 

そんな面白くなかったし。

あんなの読むくらいなら、ノーマン・メイラーとかのノンフィクション戦争小説を読んだ方がいいっての。

 

 

 

大体、戦争小説を学生に勧めるってどういうこと?

 

 

 

阿部公房みたいな詐欺平和主義者なの?

 

 

 

本当に戦争を理解したいのなら、ノンフィクションか、実際の資料じゃなきゃだめ。

 

 

 

そうしないとすぐ、韓国、中国みたいな利己的歴史歪曲主義が育つんだから。

 

 

 

そんなアイデンティティのための歴史教育の意義も理解してないやつに、教育者の資格なんてないだろ!

 

 

 

とまあ、こういうのは心で呟くに留めておく。

 

 

 

たかだか船員の講師に、歴史教育哲学を語っても仕方ないからね。

 

 

 

さてさて、しかし船長が読書好きという事実は、俺にある種の自己肯定感と、それ以外にも色々なものを与えたりする。

 

 

 

前者の自己肯定感というのは、つまり俺のやってきたこと(寝る間を惜しんで小説、映画に没頭したり、小説を執筆する等の芸術的活動)が、社会的な正しさを少なからず伴っていた、と思えるということだ。

 

 

 

社会的に大成した人間が言うのだから、間違いない。

 

 

 

しかし、そういった芸術に関する教養が、社会的な適合意識を増長させることは、だいぶ前から知っていた。

 

 

 

今までにも、社長とか宇宙飛行士とかの講演を聞く中で、そんな話が何回も出てきたからだ。

 

 

 

じゃあ、それ以外は?

 

肯定感以外に、何を感じるか?

 

 

 

それは、まあ、その時々でさまざまだけど。

 

 

 

不安、憂鬱、焦燥。

 

浮遊感を抱いたこともある。

 

 

 

今回は、うーん、少し孤独を感じた気がする。

 

 

 

船長の独りよがりな話すらも流して聞くことができないし、せっかくの本好きだというのに共感も同情も感じなかったわけだから、これから先どんなに近い趣味の人間と出会っても、また今日みたいに斜に構えてしまうんじゃないか、という些細な孤独なんだけど。

 

 

 

やはりいい気はしない。

 

これだから、本を読むのがいい、という主張には、俺は素直に喜べないし、頷けないんである。