俺はきっと長い悪夢を見ている
ホテルで同行者の要望により、メメントを見る。
スリップストリーム(非主流文学)を代表する映画であり、俺の大好きな映画作品のひとつである。
メメントを見た人間なら、かならず思うだろう、
「メモにとらなきゃ分からん」
そうして2度目を見て、メモを時系列を意識しながらとり、その完成図に達成感を覚えるのである。
俺もかつて、自分で作ったメモがしっかりと頭に入っているので、ある程度のストーリーラインが理解しているのだが、それでも、あのモノクロ描写のような夢遊感覚に陥るのである。
その感覚が、むしろ、カラー映像のときほど強まるという不可解さも相まって。
これは共感されるのか分からないのだが、メモを完成させ、ストーリーの時系列が分かっているからこそ、作品の実際性が薄れるからではないのだろうか。
物語のクライマックスにして、時系列で言うところの最初にあたるテディの告白シーン。
あれが糸を引いているんだろうか。
つまり、すべては元から存在しなかったのではないか、という疑念だ。
すべての出来事は夢だったのか。
すべての存在は偽物だったのか。
そして、視聴者は最後に問いかけるのである。
「もしかして、わたしも?」
懐疑の自己内包。自己の対象化。
これこそ、哲学的文学の本質である。
おそるべし、メメント。