5000円札としての社会的価値
樋口一葉の著作を読んだ事がある人間が、今の時代に果たしてどれくらいいるんだろう?
正直、意味がわからない。
あまりに言葉が、とくに日本語という言語が変化しすぎていて、その感覚が一向に理解できない。
要するに、言葉が古すぎる。
これが5000円札になった偉人の影響なんですか。
新渡戸稲造の武士道があんなにも影響力を持っていたのに対して、文学の世界でしか、それも日本国内でしか評価されなかった樋口一葉が、なんで同じ価値の物差しを任されてんのか。
分からない。
たしかに、紙幣の肖像は変わるべきかもしれないし。
これからは紙幣、すなわち銀行券にその顔が載ることの意味を、よくよく考える必要があるかもしれない、とかとか。
そう思ったこと以外に、この読書に価値はなかったなあ。
俺の貧相な読書では。
現代の若者の誰か、樋口文学の本質を理解して、自分人生に役立ててほしいのだ。
それか、その人生を、他人に、世界の人間を助けるのに役立ててほしいのです。
そうでなければ、彼女を5000円札に載せていた、日本の威厳がなくなってしまう気がしてならない。
以上、文学にセンスのない大学生からの、哀れな訴えでした。
次の本読も。