読書家が一度は直面するであろう、あの厄介な問いに対する答え
実は何の本を読むべきかっていうのは、本を探す上で本当に大変な問題だったりする。
しかし現代文の教科書、とくに高校の教科書なんかは本当によくできてて、高1には羅生門、高2にはこころ、高3には舞姫が用意されてるのは、それぞれの年齢に適しているわけなのだと納得するわけで。
俺の場合は、高1のときにやった山月記が面白すぎて、帰り道に本屋に直行して買ったのは良質な経験。
あれがなかったら日本の近代文学なんか読んでないだろう。
それが大学に入ってからはどうだ、本を探すのってこんな大変だったのかと思い詰めるのは、おそらくは社会性を獲得し始めたからだ。
俺みたいな本好きなら、まだいい。
つまり、読みたい本が多すぎて困ってるような奴。
時間が無いから、どれに厳選するかに悩んでしまうわけだ。
文学と出版事情について詳しい俺のような奴ならではの悩みというわけ。
しかし本に詳しくない、とくに文学の歴史に詳しくない人はどうだろう。
ツイッターとかで読書垢とか作って、他人におすすめの小説を教えてもらうことができるような奴なら、そんなに悩んでなさそうだが(大体そういう奴は文学がエンタメ扱いだから、いっそう気楽なはずだ)。
しかし人と人とが最後まで分かり合えることはない、という文学的な結論に至ってしまって、つまり他人に勧められる本を読んでも楽しめないことが理解できている孤独な読書人は、どうやって本を見つけるべきか、それが愚問だと分かっていながら悩んでしまうので、いよいよ目も当てられなくなる。
こんな悩みに直面するのは、一人暮らしとか始めたばっかりの本好き大学生あたり。
そんな奴に対する適した答えって言うのを、今回は考えてみる。
大学生は、年の近い作家が書いた本を読め。
この結論はどうだろう。
俺の中では、かなりしっくり来ている答えなんだが。
これは18歳を過ぎて、いよいよ同年代が大衆からのスポットを当てられるようになったからこそ、ようやく可能になった方法であるということを、まずは強く訴えておく。
18歳を過ぎてみろ。
活躍している奴は、本当に活躍している。
それは文学だって同じだ。
そうやって若いうちから成功の目を見ている奴の成熟度は、そこらの同年代とは比にならない。
大人なんかのそれよりも、ずっと波長の合う答えが見つかるわけである。
俺がおすすめしたいのは、最初は絶対にラディゲだ。
ラディゲに叶う若手作家なんか他にいない。
ラディゲは完成された作家だ。
18歳が書ける作品の完成形が、ラディゲによって生み出されたと言える。
次はフランソワーズ・ザガンとか。
デビュー作「悲しみよ、こんにちは」を書いたのは18歳のときらしいから、まあ妥当な作品だろう。
少し年が離れたように感じられるかも知れないが、レールモントフなんかもおすすめ。
ただ19世紀の文学って、俺は少し苦手だ。
ましてや、その中心だったロシア文学であるレールモントフの作品は、心底古さを感じさせる男女定義で満ちている。
「女性の思考回路は論理学の逆」っていう考え方には、思わず笑ってしまったけどね。
宇佐美りん「推し、燃ゆ」
ここら辺は国内での評判がよさそう。
無論、国内の小説には何十歩も出遅れている俺は読んだことない。
まあ、若者らしい文学を等身大で楽しめるのは貴重なんだから、後悔しないためにも読んでおくべきだ! というのが今回の安直な結論ということにしておこう。