<書籍紹介>マイ・オールタイムベスト「ファイト・クラブ」
序文が一切思いつかずに一時間が経ったので諦めます。
魅力を語ればきりがないですが、それを最小限の言葉で語るのが書き手の仕事であって義務。
しかしまあ、とりあえず自分の経験した書籍の中では頂点。
それだけしか言えないので。
最近になって、新版の第二刷が出たそうなので紹介。
再読して、狂ったように読み返していた高校時代を思い出しました。
いかなる読者も、それがこの本の読者である限り、小説と物語が持つ可能性を、余すことなく感じることができるはず。
作品紹介
- 作者:チャック・パラニューク
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2015/04/08
- メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
おれを力いっぱい殴ってくれ、とタイラーは言った。事の始まりはぼくの慢性不眠症だ。ちっぽけな仕事と欲しくもない家具の収集に人生を奪われかけていたからだ。ぼくらはファイト・クラブで体を殴り合い、命の痛みを確かめる。タイラーは社会に倦んだ男たちを集め、全米に広がる組織はやがて巨大な騒乱計画へと驀進する―人が生きることの病いを高らかに哄笑し、アメリカ中を熱狂させた二十世紀最強のカルト・ロマンス。
「ファイト・クラブ」というタイトルは、1999年に公開された映画で世間的に注目されたといわれています。
実は絶大な評価を得ているんですね、これ。
2008年に英国の映画雑誌『エンパイア』が「歴代最高の映画ランキング500」をアンケート調査した際には、『ファイト・クラブ』が十位にランクイン。
同誌の「最高の映画キャラクター100人」でも一位は『ファイト・クラブ』のタイラー・ダーデンが選ばれている。
むしろ映画化されなければ絶版になっていたでしょうね。
誰も見向きもしない状況だったと原作者が述懐していましたし。
その著者のチャック・パラニュークは、自分の好きな作家の三本指には入る大作家なんですが。
邦訳された書籍をすべて買わされた、数少ない海外作家のひとり。
こう説明すると、かなり聞こえはいいですね。
宣伝とはいかによく聞かせるかが大事。
明かしましょうか。
当然そうさせるだけの魅力が彼の本にはあるということも事実ですが、そもそもが五冊しか邦訳されていないという裏事情ですね。
実際には十四冊の著作があるそうですが、最近では作風がホラーよりになってしまって、それも日本では人気の出にくそうな作風なんだそう。
自分も五番目に邦訳された「ララバイ」という本は少しイマイチだと思いましたから(でも何回読んだか覚えていないくらい読み返した)。
中毒性が高いことは、強く述べておきます。
あらすじ
登場人物だけ先に紹介します。
主人公
タイラー・ダーテン
マーラ
この三人が主要人物。
主人公だけ名前がありませんが、これは主人公の名前が、物語の終盤まで明かされないから。
それでいて物語は主人公の一人称で進むので、不気味と言えば不気味です。
映画に関しては、クレジットにも主人公の名前は「ナレーター」と表示されているんです。
日本では物語を評価するとき、主人公や登場人物のキャラクターが、他の国よりも高い割合で評価されると言われています。
その点この主人公は、翻訳がいいというのもあるかもしれませんが、非常に饒舌で個性的で人間的で、魅力的な要素をたくさん備えています。
少し人を選ぶ気もしますが、この主人公が作品の完成度を大きく底上げしている。
普段から見ている他の作品と比べて、主人公の重要度の比重がかなり高いように思います。
主人公を中心に説明しましょう。
主人公は自動車会社に勤務し、全米を飛び回りながら、リコールの調査をしている平凡な会社員です。
しかし主人公は精神状態が悪く、不眠症を患っています。
そのことを医者に相談したところ、医者は癌患者の集会に参加することを主人公に勧める。
医者の意図するところがよく分かりませんね。
しかし主人公は言われたとおりに集会に参加し、不眠症は無事に改善されます。
どういうことか。
この集会に参加させた意味は、主人公に自分よりも苦しんでいる人間に触れさせることにあった(と主人公は思っている)んです。
緊張しているときに、自分より緊張している人間を見ると、かえって自分の緊張が解けることってありますよね。
人間は自分よりも過剰な人間を見ると通常に戻れる…………のでしょうか。
なぜ不眠症が治ったのか、具体的な理由が書かれていないので分かりませんが、持論でそういうことにしておきます。
それ以降もさまざまな集会に参加していた主人公は、アバウ&ビヨンドという住脳寄生虫感染症患者の集会で、自分と同じように病気でないのに忍び込んでいる人間と出会う。
それがマーラという女性。
そのマーラが気になって集会に集中できなくなるのをきっかけに、主人公は不眠症を再発してしまうのです。
この集会、患者同士が励まし合う、あるいは悲しみや苦しみを共有するため「抱き合って泣き合う」という描写が印象的。
すさんだ精神状態がリアルな行動で描かれているんです。
この心の動きを行動で表現するというのはパラニュークの得意とするところなんで、注目してほしいですね。
そしてもうひとりの重要人物、タイラーは映画技師。
主人公とタイラーの関係性は、かなり分かりにくく説明されているほか、かなりごまかされている部分があります。
自分もどう書けばいいのか悩んでいるくらい。
ロサンゼルスのヌードビーチで出会ったとは書かれているのですが。
ただタイラーと主人公の関係は、ある出来事を境に大きく変化します。
タイラーが主人公に「おれを力いっぱい殴ってくれ」と頼むんです。
主人公も半ばふざけながら、そしてだんだんと本気になって、ふたりで殴り合いを始めます。
そしてふたりは傷つき合いながら、生きている実感を得る。
消費社会を生きていると忘れてしまう、生の実感を。
タイラーはファイト・クラブという集会を作ります。
主人公との殴り合いの経験を生かして、自分の命の重さを感じるために、自分は生きているんだと感じるために、殴り合って身体を傷つけ合うという集会。
これが消費社会の人間の裏返しなんですね。
このファイト・クラブが全米に広がっていくことで、物語は大きく動き出します。
狂乱の文才
パラニュークの何がそんなに優れているのかと聞かれれば、自分は文才だと答えます。
自分は作品の評価を文章に依存しすぎだと、ときおり自分でも思ってしまうことがありますが、そもそもが小説の出来を決める最大要素が文章だと思っているので仕方ありません。
そしてこの物語の文章の特徴は、やはり読んだときに感じる痛みでしょうね。
登場人物の心情の変化を、直接的な暴力の、それも感覚的な痛みで表現する小説ってあんまりないんですよ。
というより、これ以外に自分は知らない。
エンターテインメントの格闘シーンとはまったく意味が違いますから。
殴られる。
痛い。
これが痛いと思ってもらうための痛いではなくて、うれしい、悲しい、すがすがしい、心地いいといった心情表現の代わりなんですね。
だから自分は「悲しくなった」と言ったりとか「泣く」などの行動もとらない。
というより、主人公は殴る以外の行動をとることがほとんどない。
殴るだけですべてが表現できるから。
文学的な痛み。
その痛みを体験してほしいですね。
痛みで楽しむ文学は、たいへん新鮮できもちいいですよ。
おわりに
詳しくは説明していないつもりです。
何も知らずに読むのが、なんの思い込みもない状態で読むのが、読書では一番いいコンディションですから。
この本があなたの書架を豊かにする一冊になることは保証できる。
パラニュークが得意とする反復でもって、もう一度言っておきます。
どうか知ってほしい。
物語が持つ飽くなき可能性を。