読書家のための偏見作品紹介

主に小説の紹介、書評で人生を設計したい

もののけ姫は本当に女の物語なのか

前回の続き。



ようやく「もののけ姫」をキャラクターに注目して解剖していくよ。



まずは一つ確認しておこう。

この物語の主人公は誰か。



アシタカか。もののけ姫(サン)か。



無論、答えはサンだ。



タイトルだってそうなってるじゃない。



「『タイトルに入ってるから』という理由では主人公とは言い切れない」という指摘は正しいが、逆に言えば、「タイトルに入っていれば十中八九は主人公である」というのが俺の持論だ。



もののけ姫の物語の構造はどうなっているか?

それを理解する時は、自分の言葉で最も簡潔に物語を説明してみる、というやり方をお勧めする。



そうすると、各側の主張は次のようになる。



アシタカ派
「俺は呪われた右腕を回復する術を探しに行ったところ、シシガミの噂を聞きつけたので頼ろうと思ったが、もののけ姫に惚れてしまうわ、シシガミは戦争に巻き込まれてるわで、どうしようもなかったので、この俺が戦争を止めてやったんだ」



サン派
「俺は呪われた右腕を回復する術を探しに旅に出たところ、タタラという国ともののけ姫に遭遇し、その女ってのもえらい美人で、ついつい惚れてしまったので、彼女を救うために戦争を止めたところ、運よく腕も回復してもらえたんだ」



この二つのどっちが話に合ってるかってことよね。



というわけで、「腕を治す」というのが最終的には物語の動機に過ぎなかったことからも、主人公はサンで決まりなんだが、ここで彼らの人間性から探ってみよう。



まずはサンというキャラクターの印象から。

俺の印象は以下。

・頭悪い
・結構弱い
・所詮は人間(しかも女)
・でも動物と話せる
・獣臭そう(←致命的)
・正義感は強い
・万年生理
・処女(アシタカで卒業)
・いい子供産みそう
・かわいい



これらをまとめてみて分かることは、サンはあらゆる側面において矛盾した存在であるということ。



こういうのは、いわゆる主人公気質というやつで、つまり物語の一部の役割を果たしている(例えばNPCのようなもの)、と考えてはいけない。



こいつを中心に物語ができているのだ。



視聴者は、ひたすらサンを見守るように見るべき、ということ。

サンの行動に、らしさや不可解さを見出してはいけないのである。




次にアシタカ。以下。

・語り手
・主人公気質
・アシタカ様
・人間の最強役
・イケメン
・めっちゃモテる
・ヤックルは親友(ピカ〇ュウ?)
・とにかく強い
・くそっ、右腕がうずくっ!
・「そなたは美しい……」
・許嫁がいる
・許嫁かわいい



さて、アシタカがヤリチンだと分かったところで、つまりこんな疑問が出てくるわけである。



「アシタカって許嫁おるやん!」

「でもサンとやってるやん!」

「あいつ、どんだけ浮気者やねん!」



それは世間の女性から、アシタカが憎まれるようになった瞬間でした。





これが問題のシーン。

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アシタカから首飾りを受け取るサン





なんとこれは、物語の序盤で、許嫁のカヤからもらった大事な大事な黒曜石の首飾りなのです。

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「これを私だと思って」のシーン
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まさか浮気されるとも知らずに……


俺も男だけれど、いや、こうして並べて見ると、ほんとアシタカって最低だな、とは思うよ。



別に彼の行動を肯定するつもりは毛頭ありません。



しかし。

これを、あくまで一連の流れる映像の物語として見た時。

サンに首飾りを譲るシーンは、この映画で最も感動的なシーンになるのである。




これから戦争が最大の佳境に差し掛かろうという時。



アシタカは洞窟でひとり目覚め、すでに戦争が始まっていることに気付く(まあ寝坊してる時点で呑気だなあと思うし、それも夜遅くまでモロと話してるのが悪い)。




そこで、戦場で戦っているはずのサンを思うと、もう二度と会えないかも知れないという終末的絶望(動物と人間とでは、動物の方が圧倒的に劣勢の戦況)から、どうにかしてサンへの愛を伝えようとアシタカは思い立つ。




そこで、首飾りを山犬に預け、サンに届けてもらおうとするとき、




「あそこで首飾りをあげる意味が分からない」



これは知り合いの女の子の意見です。



「別に好きになるのは仕方ないけどさ、せめて別にプレゼント用意しなよ」





……分かってない。


ほんと、何も分かってない。



女心を解せよというのなら、この繊細な男性的乙女心も理解してやれよ!



男は、どんなことでも、日常の本当に些細なことも、女から学ぶしかないのだ。




男性脳っていうのはそういうもので、つまり自分の感情を分析するのが苦手なので、どうやったら自分は嬉しくなるとか、悲しくなるとか、そういったことが分からないんです。



それに想像力もない。




だから行動に移せない。




自己表現ができない。




男は、きっと女が思ってる以上に惨めなのだ。




だから、男が大事な局面に出くわしたとき。



例えば、本当に心から女を愛したとき



一体どうするか。



簡単な話、女から学ぶしかない男は、自分の経験から、かつて自分を愛してくれた女の真似をするしかないんです。



学ぶ=真似る、というのは、そういうこと。



それがアシタカの場合は、首飾りだったのである。





アシタカはカヤから首飾りをもらったのが、本当に嬉しかったんだろう。

こんな大事な時に、それを思い出してしまうくらいに、経験した何よりも嬉しかったのだ。





だからサンに最高の愛を伝えようとしたとき、無意識に、それを真似ようとしたわけである。

そして、最高の感動を直接伝えようとしたあまり、自分の感動がすべて詰まった首飾りそれ自体を、そのまま譲ってしまったのだ。




分かってもらえただろうか?




理解できた人には、このシーンは、紛れもなく不朽の感動シーンになる。




俺は常々、それを思ってきた。




実をいうと、俺はこの作品を、というか何事に関しても、あまり男、女で分けたくはない




別に同じ人間なんだし、そういう男女同質を育もうとする社会風潮の中で育ってきたんだから。




だけど、このシーンを挙げると、反対的な意見を投げかけられることが少なくなくて、しかもそのほとんどが女ときた。

一方の俺は、このシーンを見るたび、涙しそうになるくらいの感動するし、むしろ「もののけ姫」を見るのは、このシーンの感動を思い出したいからでもある。



それくらいの魅力が、ここにはあるのに。



だからこんな風に、「女に物申す!」というスタイルで主張させていただくしかない。



これが分からない女たちよ(というのは偉そう過ぎるので、女性のみなさーん……)、とあえて言う。



この物語は、男の物語なのだ。



主人公は確かに女だが、大事なのは、これは男の目線で語られている物語だということだ。



もののけ姫の登場人物が最も人間らしく見えるシーンは、間違いなくこのシーンだと俺は断言するし、何より現代映画では失われつつある「人間の内心を装飾なく描写する」ということを、それも静かなワンシーンで表現するところに、宮崎駿の演出論にある芸術性が垣間見えるのである。



これだから、もののけ姫は、文学的にも優れているのだ。

今こそ神秘主義の奥深さを知ろう

金曜ロードショーもののけ姫を見る。



別に地上波放送じゃなくても、年に2・3回はDVDで見てるくらいに好きなんだが、あれをまともに議論してくれる人といまだ出会ったことがない。
これだけ人気な作品なのにちょっと悲しい、と思う時期はかなり前に過ぎ去ったけれども。




とはいえ、これの理解が難しいのは、実はジャンルの問題だったりする。



これはSF・ファンタジーにあたる「空間」を重視したジャンル性と、男と女の連続的な(←かなり重要)ボーイ・ミーツ・ガールを描いているので、どちらで楽しむこともできる反面、その境目として見ることができない人が多いのだろう。




俺は両方とも特に好きなので、それが好みに合っているんだろうけど。




実はこの「もののけ姫」のジャンルの問題性を意識するようになったのは、皮肉にも、去年に再履修で取った総合教養科目「文学A」の授業のおかげだった。



その講義は主に「ユートピア」について扱い、講義のたびに与えられるテーマに対して、自分の感想を述べるという間接対話形式だったので、俺には持ってこいだった。



で、その最終課題が「キリスト的世界観と神秘主義の相違」だったので、そのフィードバックに俺は「もののけ姫」を引用したわけである。




俺も講義を受けるまで知らなかったのだが、特に古老的カトリック宗派のキリスト教というのは、自然を全力で嫌っていたらしい。



それは、神の幾何学に反するから。



キリスト教の教えでは、地球は神によって作られたとされている。だから地球はきれいな球体の形をしているのだし、地上は平たんにできている。



だが、それを真正面から邪魔するのが「山」というわけだ。

山が地上にあることで、地上の水平的均衡が破られるし、地球も球体ではなくなって見える。

それがキリスト教徒には許せなかったらしいのだ。



授業では、むかしのキリスト教徒が登山中に書いた日記が紹介されていたけども、まあ山や草木のことをボロクソに書いていてびっくりした。

一刻も早く山を越えたい、早く地上に降りたい、と執拗に訴えるし、あるいはその感覚が、思いのほか理解できなかった俺自身にも、さらに驚くわけである。



たしかに、俺は自然が嫌いだったことはあまりない。



アウトドアではないし、真正面からのインドア派だけども、それでも日光浴とか森林浴とかの心地よさは理解できるし、なにより自然環境は大切にしなくちゃなと思っている。




まあ最後の環境保護というのは社会的な教育によるものだろうが、自然の心地よさが理解できないのはどうしてなのか、と考えて、実はこれがアジア特有の神秘主義だと知ったんである。



とくに日本は、自然の神秘を尊崇している文化がある。

それは自然災害が多いからだ、と俺は考えている。



日本人にとって、自然というのはもともと、完全に人間の支配下に置くことは不可能だと思われているのだ。



この感覚が、いわゆる震災などの大災害に陥っても、日本人が海外よりも平静に行動できる最大の要因だろう。



海外では自然が人間に逆らうのは、まず有り得ないと思われがちだから、少しの災害でもパニックになる。



俺の知ってる実話だと、たしか俺が高校生の頃に、ロンドンで震度3の地震が起こっただけで、すべての鉄道が止まったり、会社員が仕事どころじゃなくなって全員帰宅したり、そのパニックに乗じて盗み放題、食べ放題(何度も言うけど、実話だよ)。



いやあ、俺なんて昨日も震度2を2回も食らったばかりなのに、何もなかったかのように寝てたよ。



とまあ、こんな風に、海外では自然と人間の距離が大きい。日本よりははるかに。



それが「もののけ姫」の対立構造だって、まずはそこを理解できてるんだろうか?



超自然的な魔力を持つシシガミの森と、自然を征服しようとする国家、エボシ率いるタタラという国に、戦争が起こっているということ。




この神秘主義と神の幾何学の対立は、もののけ姫で十分補完的に描かれているから、もう他の小説や映画で描いても仕方ないだろうね。

どうせ、もののけ姫よりすごいのは無理だろうしさ。



少し長くなったので、とりあえず今回はここまで。



次は物語の構造を理解した上での、ボーイ・ミーツ・ガールを構成するキャラクターを掘り下げるよ。

終戦日と原爆のあれこれ

8月15日で終戦の日一色ムードなので、とりあえず終戦に触れておく。



台湾人の実業家・許文龍は太平洋戦争について、



「日本が勝っていれば天下太平だった」



と語っていたが、まったく頷くことはしなくとも、今より平和だったのは間違いあるまい。



もとい、平和を「天下太平」と表すのがいかにも日本人らしいので、俺も次から「天下太平」と表現することにする。



戦時中の日本の善悪や、戦争の美化云々を語らせると、俺は陽炎が沸き立つくらいに熱くなってしまうので、ここでは省略いたしますが、とはいえ小説についてばかり語っているこのブログに書き込んでいるのだから、やっぱり文学の側面から戦時中の日本について触れてみようと思います。



第二次大戦に関係した小説で特に好きなのは、少し趣向がずれているんだけども、フィリップ・K・ディックの「高い城の男」とか。





ディックが好きなのはもとい、あれは最高に面白い。

軽くあらすじに触れておくと、第二次大戦で枢軸国(というか日独)が勝ったという架空の未来社会を描いたSF小説。



アメリカは日本とナチスドイツの占領下に敷かれていて、主人公のいる日本占領区画で日本に対するデモを起こしている民衆を描いている。



とっても皮肉な設定なんだが、日本占領下のアメリカは、とにかく治安がいいらしい。



さすがディック、設定をよく描けている。日本は歴史上、いかなる国よりも治安がいいからね。




SF最大の文学賞であるヒューゴー賞の記念すべき第1回受賞作。


映画は去年くらいにアマプラで見たんだけど、うーん、日本人がイマイチでした。





それからノンフィクションをひとつ。



俺が一番好きなノンフィクション作家のノーマン・メイラーは、戦争中の記憶について、



「日本は今まで見てきた中で一番美しい国だった」



と語ったそうだが、あの辛口で罵詈雑言ばかり並べるメイラーにそこまで言わせるなんて、日本はどれほど美しかったんだろう。



そこでメイラーの夜の軍隊を、ここでもう一度読んでみようと思う。






あの残酷でグロテスクなノンフィクション小説は、はだしのゲンよりもずっと凶暴な現実を教えくれた。



誰か忘れたが、アメリカの批評家がこの小説について「美しい描写と文体」と批評したらしいが、頭がいかれちゃってるんじゃなかろうか。それとも日本の翻訳が悪いのか? ノンフィクションで翻訳がずれることなんて有り得ないと思うが。



これを読んで「美しい」と感じるアメリカ人は、第二次大戦に勝利したアメリカに酔っている戦争論者だけ。本当の意味での「戦争好き」。ルーズベルトスターリンと同じ思想、つまりヒトラーよりも遙か高みにある悪なので、世界中から非難されるべきだと思います。





それから。


俺はいつも「戦前の天皇制の再建」「武士道と愛国思想の復活」を唱えているけれども、これは俺が台湾に住んでいたという経験を持つからです。



俺が住んでいたフーシンルーのすぐ近くには、旧日本軍の基地が記念館になって残されていて、そこの近くの花沢神社では、井上正太郎軍曹(つまりは日本人)が祀られていた。



日本人が祀られるなんて、戦前の日本人がどれほど尊敬されていたか、おそらくは日本人すらも知らないだろう。



俺は台湾のいたるところで、場合によっては学校教育でも、日本の統治がいかに素晴らしかったか聞かされ続けているので、日本の統治を悪く言ったり、あるいは植民地支配をしたなどという嘘八百を語られると、どうしても我慢ならない。



政府はたのむから、従軍慰安婦南京虐殺だけは絶対に否定し続けなさいよ。



最近、安倍さんがせっかく弔問に言ったばかりの李登輝が悲しむからね。






問題なのは、それが嘘か本当かも知らない、あるいはどうでもいいとすら思っている大多数の日本人の考えなんだろうけれども。



結局、個人の思想なんてのは、あらかたは育ちによって決まります。


つまり、右翼的思想が育ちやすい環境に育ったら右翼になるし、左翼はその逆。



だから思想を持てない人間は、自分の育ちを呪ってください。


外国に行ったとき、思想を持っていないことがどれだけ残念なことなのか、思い知ることになるよ。




最後に。



原爆を投下したアメリカは、ドイツよりもずっと悪です。



ヒトラーは10万人のユダヤ人を殺したけど、それが何?


スターリンは20万人の思想家を殺し、毛沢東は50万人の国民(特にエリート)を殺したけど、あいつらの方が悪じゃないんか?



原爆は2日で20万人以上殺したが、あれはヒトラーの何十倍も悪だろうが。



俺は原爆の恨みを絶対に忘れないよ。



早く軍を持って、アメリカと中国に対抗できる国に、日本がなってほしいものです。

読書家が一度は直面するであろう、あの厄介な問いに対する答え

実は何の本を読むべきかっていうのは、本を探す上で本当に大変な問題だったりする。



しかし現代文の教科書、とくに高校の教科書なんかは本当によくできてて、高1には羅生門、高2にはこころ、高3には舞姫が用意されてるのは、それぞれの年齢に適しているわけなのだと納得するわけで。



俺の場合は、高1のときにやった山月記が面白すぎて、帰り道に本屋に直行して買ったのは良質な経験。

あれがなかったら日本の近代文学なんか読んでないだろう。



それが大学に入ってからはどうだ、本を探すのってこんな大変だったのかと思い詰めるのは、おそらくは社会性を獲得し始めたからだ。



俺みたいな本好きなら、まだいい。

つまり、読みたい本が多すぎて困ってるような奴。

時間が無いから、どれに厳選するかに悩んでしまうわけだ。

文学と出版事情について詳しい俺のような奴ならではの悩みというわけ。



しかし本に詳しくない、とくに文学の歴史に詳しくない人はどうだろう。

ツイッターとかで読書垢とか作って、他人におすすめの小説を教えてもらうことができるような奴なら、そんなに悩んでなさそうだが(大体そういう奴は文学がエンタメ扱いだから、いっそう気楽なはずだ)。



しかし人と人とが最後まで分かり合えることはない、という文学的な結論に至ってしまって、つまり他人に勧められる本を読んでも楽しめないことが理解できている孤独な読書人は、どうやって本を見つけるべきか、それが愚問だと分かっていながら悩んでしまうので、いよいよ目も当てられなくなる。




こんな悩みに直面するのは、一人暮らしとか始めたばっかりの本好き大学生あたり。



そんな奴に対する適した答えって言うのを、今回は考えてみる。



大学生は、年の近い作家が書いた本を読め。




この結論はどうだろう。

俺の中では、かなりしっくり来ている答えなんだが。




これは18歳を過ぎて、いよいよ同年代が大衆からのスポットを当てられるようになったからこそ、ようやく可能になった方法であるということを、まずは強く訴えておく。



18歳を過ぎてみろ。

活躍している奴は、本当に活躍している。



それは文学だって同じだ。

そうやって若いうちから成功の目を見ている奴の成熟度は、そこらの同年代とは比にならない。



大人なんかのそれよりも、ずっと波長の合う答えが見つかるわけである。




俺がおすすめしたいのは、最初は絶対にラディゲだ。

ラディゲに叶う若手作家なんか他にいない。

ラディゲは完成された作家だ。

18歳が書ける作品の完成形が、ラディゲによって生み出されたと言える。



次はフランソワーズ・ザガンとか。

デビュー作「悲しみよ、こんにちは」を書いたのは18歳のときらしいから、まあ妥当な作品だろう。





少し年が離れたように感じられるかも知れないが、レールモントフなんかもおすすめ。

ただ19世紀の文学って、俺は少し苦手だ。

ましてや、その中心だったロシア文学であるレールモントフの作品は、心底古さを感じさせる男女定義で満ちている。

「女性の思考回路は論理学の逆」っていう考え方には、思わず笑ってしまったけどね。




村上龍限りなく透明に近いブルー

宇佐美りん「推し、燃ゆ」


ここら辺は国内での評判がよさそう。

無論、国内の小説には何十歩も出遅れている俺は読んだことない。




まあ、若者らしい文学を等身大で楽しめるのは貴重なんだから、後悔しないためにも読んでおくべきだ! というのが今回の安直な結論ということにしておこう。

<映画>事故とカーチェイスとカーセックスの話

最寄駅からの都合上、長堀橋駅で降りると、シネマート心斎橋までは徒歩10分。

 

わざわざショッピングモールの中にある、それも3つのスクリーンしかない小さな映画館に行ったのは、そこくらいでしか上映してなかったからだ。

 

 

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「クラッシュ」観てきました。

 

限定復刻とはいえ、関西で3つしかやってないって、そりゃあないぜ……

 

京都ですら、一か所もやってねえんだからな。

 

 

 

 

日曜なのに11:45と18:15の2回しかやってない。

昼に観に行こうと思ったが、起きたらすでに12時を回っていたので、仕方なく夕方に行くことに。

 

 

 

そんで入ったのは、50席くらいしかない、ソーシャルディスタンスなんか確保できるはずもない劇場。

 

 

 

おお、観客は10人もいるのか。

 

知らない人と2人きりになるんじゃないかと思ったりもしたので、ちょっと安心。

 

まあ、上映が始まってまだ3日目なんだが。

 

 

 

わたしが最後に席につき、他の人たちが挙ってパンフを見ているので、わたしも急いで売店に戻って購入、周囲と同化して読む。

 

最初には監督の挨拶があり、それからすぐに、原作者であるJ・G・バラードについて書かれている。

 

うほっ、バラードだ!

すげえっ! この写真見たことねえ!

かっけえ! 言ってること全部かっけえ!

 

となりを見やると、60を超えてるであろう白髪の初老が、暗がりの中で黙々と、バラードの「ミレニアムピープル」を読んでいる。

 

ここって、本当にごく一部のバラードファンしかいないんだろうな。ミレニアムピープル、面白いもんね!

 

 

 

 

 

おっと、映画が始まるぜ!

 

 

 

おお、女の人が車に擦り寄って……

 

あれ、服をまさぐって、乳首を出して。

 

あ、乳首を車に押しつけてるぞ。

 

 

 

 

 

男が来た。セックスか。そりゃあそうか。

 

セックス。セックス。カーセックス。

 

セックス。カーセックス。セックス。事故。

 

 

 

 

 

身体中に傷ができて、病室で寝ているところを、女が来て手コキ。退院してセックス。カーセックス。セックス。カーセックス。セックス。セックス。

 

 

 

 

セックス。セックス。セックス。

 

 

 

 

眠くなってきた。なんか刺激が欲しいな。

 

「事故は性的エネルギーを解放する!」

 

 

 

おお! これだ! これがバラードなんだ!

 

面白くなってきたぞ!

 

 

 

 

 

カーチェイス。背後から衝突。運転手が欲情。

 

セックス。カーセックス。

 

カーチェイス。激突。セックス。

 

カーセックス。カーチェイス。カーセックス。

 

 

 

 

 

タトゥーを掘る。

 

セックス(男同士)。

 

セックス(女同士)。

 

 

 

 

カーチェイス。衝突するか?しないか?

 

運転手(男)、欲情。運転に集中できない。ハンドル操作を誤って事故、死亡。

 

 

 

 

 

今度は主人公が追いかける側になってカーチェイス

 

追われる側の運転手(女)、欲情。運転に集中できない。ハンドル操作を誤って事故。

 

主人公が助けに行く!

運転手の女が芝生に投げ出されている!

 

「今度は俺が……」

 

おそらくは、「今度は俺が(追われる側になるよ)」っていう意味かな?

 

二人は芝生でセックス。

 

 

 

 

エンドロール。

 

 

 

 

 

ざっと、あらすじ。

 

無修正版だったので、股間までバッチリ。

 

 

 

 

 面白かった。本当に。

 

感無量であります。

 

 

 

 

 

下に色々貼っとくので、興味あったら覗いてみてください。

 

『クラッシュ 4K無修正版』オフィシャルサイト (crash4k.com)

映画『クラッシュ 4K無修正版』1.29(金)より全国順次公開さん (@crash4kjp) / Twitter

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5000円札としての社会的価値

樋口一葉の著作を読んだ事がある人間が、今の時代に果たしてどれくらいいるんだろう?

 

にごりえたけくらべ を読了。

 

正直、意味がわからない。

 

あまりに言葉が、とくに日本語という言語が変化しすぎていて、その感覚が一向に理解できない。

 

要するに、言葉が古すぎる。

 

これが5000円札になった偉人の影響なんですか。

 

新渡戸稲造の武士道があんなにも影響力を持っていたのに対して、文学の世界でしか、それも日本国内でしか評価されなかった樋口一葉が、なんで同じ価値の物差しを任されてんのか。

 

分からない。

 

たしかに、紙幣の肖像は変わるべきかもしれないし。

 

これからは紙幣、すなわち銀行券にその顔が載ることの意味を、よくよく考える必要があるかもしれない、とかとか。

 

そう思ったこと以外に、この読書に価値はなかったなあ。

俺の貧相な読書では。

 

現代の若者の誰か、樋口文学の本質を理解して、自分人生に役立ててほしいのだ。

それか、その人生を、他人に、世界の人間を助けるのに役立ててほしいのです。

 

そうでなければ、彼女を5000円札に載せていた、日本の威厳がなくなってしまう気がしてならない。

 

以上、文学にセンスのない大学生からの、哀れな訴えでした。

 

次の本読も。

<シャニマス>サポート摩美々が強すぎる。

いつ来るかも知れない<期間限定>円香のために貯めてたジュエルを解放する。



理由は当然、今回登場した<期間限定>ガチャの誘惑に負けたから。
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円香じゃなかったけど、強すぎないか、これ。

5,16倍とか微妙な数値に気を取られていて、遅れて数値の大きさに驚くんである。

(ちなみに 5,16+リンク3=8,16 が夏葉の誕生日8/16を表しているらしいです)



スタンプ3枚目の最後の選択ガチャ券が使えるようになる程度に回しているので、つまりは90000のジュエルを使ったわけだが、今回の収穫はまたいつか解説することにする。



そこで偶然入手したのがこの摩美々 ↓
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なんせ300回もガチャを回していたので気に止めていなかったが、あとで調べてその有能さに引いている。

問題のスキルページ ↓
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ビジュアルマスタリー体力&SPはホントにチート級。

ビジュアル極型で体力9回復+SP6増加(0凸)は、重宝するにもほどがある。

レッスンしても体力が全然減らないし、体力サポートと組み合わさったらただだったようなもの。



最近汎用してるビジュアル一極編成(WING用)↓
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ガチャの収穫はまた今度。