もののけ姫は本当に女の物語なのか
前回の続き。
ようやく「もののけ姫」をキャラクターに注目して解剖していくよ。
まずは一つ確認しておこう。
この物語の主人公は誰か。
アシタカか。もののけ姫(サン)か。
無論、答えはサンだ。
タイトルだってそうなってるじゃない。
「『タイトルに入ってるから』という理由では主人公とは言い切れない」という指摘は正しいが、逆に言えば、「タイトルに入っていれば十中八九は主人公である」というのが俺の持論だ。
もののけ姫の物語の構造はどうなっているか?
それを理解する時は、自分の言葉で最も簡潔に物語を説明してみる、というやり方をお勧めする。
そうすると、各側の主張は次のようになる。
アシタカ派
「俺は呪われた右腕を回復する術を探しに行ったところ、シシガミの噂を聞きつけたので頼ろうと思ったが、もののけ姫に惚れてしまうわ、シシガミは戦争に巻き込まれてるわで、どうしようもなかったので、この俺が戦争を止めてやったんだ」
サン派
「俺は呪われた右腕を回復する術を探しに旅に出たところ、タタラという国ともののけ姫に遭遇し、その女ってのもえらい美人で、ついつい惚れてしまったので、彼女を救うために戦争を止めたところ、運よく腕も回復してもらえたんだ」
この二つのどっちが話に合ってるかってことよね。
というわけで、「腕を治す」というのが最終的には物語の動機に過ぎなかったことからも、主人公はサンで決まりなんだが、ここで彼らの人間性から探ってみよう。
まずはサンというキャラクターの印象から。
俺の印象は以下。
・頭悪い
・結構弱い
・所詮は人間(しかも女)
・でも動物と話せる
・獣臭そう(←致命的)
・正義感は強い
・万年生理
・処女(アシタカで卒業)
・いい子供産みそう
・かわいい
これらをまとめてみて分かることは、サンはあらゆる側面において矛盾した存在であるということ。
こういうのは、いわゆる主人公気質というやつで、つまり物語の一部の役割を果たしている(例えばNPCのようなもの)、と考えてはいけない。
こいつを中心に物語ができているのだ。
視聴者は、ひたすらサンを見守るように見るべき、ということ。
サンの行動に、らしさや不可解さを見出してはいけないのである。
次にアシタカ。以下。
・語り手
・主人公気質
・アシタカ様
・人間の最強役
・イケメン
・めっちゃモテる
・ヤックルは親友(ピカ〇ュウ?)
・とにかく強い
・くそっ、右腕がうずくっ!
・「そなたは美しい……」
・許嫁がいる
・許嫁かわいい
さて、アシタカがヤリチンだと分かったところで、つまりこんな疑問が出てくるわけである。
「アシタカって許嫁おるやん!」
「でもサンとやってるやん!」
「あいつ、どんだけ浮気者やねん!」
それは世間の女性から、アシタカが憎まれるようになった瞬間でした。
これが問題のシーン。
なんとこれは、物語の序盤で、許嫁のカヤからもらった大事な大事な黒曜石の首飾りなのです。
俺も男だけれど、いや、こうして並べて見ると、ほんとアシタカって最低だな、とは思うよ。
別に彼の行動を肯定するつもりは毛頭ありません。
しかし。
これを、あくまで一連の流れる映像の物語として見た時。
サンに首飾りを譲るシーンは、この映画で最も感動的なシーンになるのである。
これから戦争が最大の佳境に差し掛かろうという時。
アシタカは洞窟でひとり目覚め、すでに戦争が始まっていることに気付く(まあ寝坊してる時点で呑気だなあと思うし、それも夜遅くまでモロと話してるのが悪い)。
そこで、戦場で戦っているはずのサンを思うと、もう二度と会えないかも知れないという終末的絶望(動物と人間とでは、動物の方が圧倒的に劣勢の戦況)から、どうにかしてサンへの愛を伝えようとアシタカは思い立つ。
そこで、首飾りを山犬に預け、サンに届けてもらおうとするとき、
「あそこで首飾りをあげる意味が分からない」
これは知り合いの女の子の意見です。
「別に好きになるのは仕方ないけどさ、せめて別にプレゼント用意しなよ」
……分かってない。
ほんと、何も分かってない。
女心を解せよというのなら、この繊細な男性的乙女心も理解してやれよ!
男は、どんなことでも、日常の本当に些細なことも、女から学ぶしかないのだ。
男性脳っていうのはそういうもので、つまり自分の感情を分析するのが苦手なので、どうやったら自分は嬉しくなるとか、悲しくなるとか、そういったことが分からないんです。
それに想像力もない。
だから行動に移せない。
自己表現ができない。
男は、きっと女が思ってる以上に惨めなのだ。
だから、男が大事な局面に出くわしたとき。
例えば、本当に心から女を愛したとき。
一体どうするか。
簡単な話、女から学ぶしかない男は、自分の経験から、かつて自分を愛してくれた女の真似をするしかないんです。
学ぶ=真似る、というのは、そういうこと。
それがアシタカの場合は、首飾りだったのである。
アシタカはカヤから首飾りをもらったのが、本当に嬉しかったんだろう。
こんな大事な時に、それを思い出してしまうくらいに、経験した何よりも嬉しかったのだ。
だからサンに最高の愛を伝えようとしたとき、無意識に、それを真似ようとしたわけである。
そして、最高の感動を直接伝えようとしたあまり、自分の感動がすべて詰まった首飾りそれ自体を、そのまま譲ってしまったのだ。
分かってもらえただろうか?
理解できた人には、このシーンは、紛れもなく不朽の感動シーンになる。
俺は常々、それを思ってきた。
実をいうと、俺はこの作品を、というか何事に関しても、あまり男、女で分けたくはない。
別に同じ人間なんだし、そういう男女同質を育もうとする社会風潮の中で育ってきたんだから。
だけど、このシーンを挙げると、反対的な意見を投げかけられることが少なくなくて、しかもそのほとんどが女ときた。
一方の俺は、このシーンを見るたび、涙しそうになるくらいの感動するし、むしろ「もののけ姫」を見るのは、このシーンの感動を思い出したいからでもある。
それくらいの魅力が、ここにはあるのに。
だからこんな風に、「女に物申す!」というスタイルで主張させていただくしかない。
これが分からない女たちよ(というのは偉そう過ぎるので、女性のみなさーん……)、とあえて言う。
この物語は、男の物語なのだ。
主人公は確かに女だが、大事なのは、これは男の目線で語られている物語だということだ。
もののけ姫の登場人物が最も人間らしく見えるシーンは、間違いなくこのシーンだと俺は断言するし、何より現代映画では失われつつある「人間の内心を装飾なく描写する」ということを、それも静かなワンシーンで表現するところに、宮崎駿の演出論にある芸術性が垣間見えるのである。
これだから、もののけ姫は、文学的にも優れているのだ。