Apr ,2020 読書日記まとめ
コロナで外出自粛ばかりが促進され、ようやく人間の本質が垣間見えるというか、つまり家の中でひとりで何ができるかが人生の本質である。
正直この時期は、いわゆる人間の成熟度という意味で、大きな差が生まれているんだろう。
少なくとも携帯いじって一日を終えている若者が多いようだから、まあそういうやつはどうしようもない。
思うに最終的には何事も、本に頼るしかないと思うよ。
個人的には文学か専門書かノンフィクションが人生を豊かにしてくれると思う。
俺はノンフィクション嫌いだけど、最近はまたいろいろと探しているので、面白かったら紹介しよう。
しかし出版界もコロナ打撃を受けているようだ。
悲しいツイートが多い。
あー、はい。ツインスター・サイクロン・ランナウェイですが、過去に出した本の中で一、二を争う初期反響をいただいているにもかかわらず、いまだ初版です。これは私が売れてないというより、それだけ紙本の売り上げが落ちているということでしょう。各自、推しの紙本を買ってください。
— 小川一水 (@ogawaissui) 2020年4月28日
発売1週間以上たっても重版かからないの久しぶりだ...書店は今6割クローズしているらしく「リアル店舗」のメディア力を改めて感じてる。書店好きとしては書店をぶらつく楽しみが生活にないのもつらい。そんな中での癒しがコンビニの雑誌コーナー。付録つきの雑誌は体験と読書両方満たしてくれる。
— はあちゅう / 新刊「子供がずっと欲しかった」発売中 (@ha_chu) 2020年4月28日
書店も危機。そして取次はたぶんもっと危機。出版社も危機。そして全てを葬り去った後に独り勝ちするのがAmazon。 https://t.co/wzwj9eCuWa
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2020年4月28日
気を取り直して今月の報告へ。
1位、鳥の歌いまは絶え
- 作者:ケイト・ウィルヘルム
- 発売日: 2020/04/30
- メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
シェナンドアの一族に生まれ、生物学者を目指す青年デイヴィッドは、あと数年のうちに地球上のあらゆる生命が生殖能力を失うことを知る。一族は資産と人員を集結し、クローン技術によって次世代を作り出すための病院と研究所をシェナンドアに建設した。動植物のみならず、人間のクローニングにも成功したデイヴィッドは、クローンたちが従来の人類とは異なる性質を帯びていくことに危惧を覚えるが……。滅びゆく人類と無個性の王国を築くクローンたち、それぞれの変遷を三部構成で描く、ヒューゴー/ローカス/ジュピター賞受賞作、待望の復刊。
ウィルヘルムという作家がいるのは知っていた。
SF黄金世代、つまり今の50代男性から、伝説的作家としてよく名前が挙がるからだ。
しかし読んだことはなく、特に最近のSF界ではまったく名前を聞かないので、既に古くなった作家だと思って無視していた。
そんなさなか、それもコロナで本が売れない時期に、まるで注目を避けようとしているかのようにひっそりとウィルヘルムの本が復刊したのは、やはり意図的な策略を感じるのだが、気のせいか。
このツイートを見ていなかったら、本当に見逃していたと思う。
そして東京創元社からは、待望の復刊をいただきました。ケイト・ウィルヘルムの『鳥の歌いまは絶え』。繰り返される破滅と再生の物語。これぞSF。本書をきっかけに日本でのウィルヘルムの再評価が進みますように。 pic.twitter.com/nDIP0GOn9q
— Mitsuyasu Sakai/堺三保 (@Sakai_Sampo) 2020年4月26日
そして俺に買う決意をさせたのが、帯にも書かれたキャッチコピー。
ティプトリー、ル=グィンに並び称されるSF作家の代表長編、待望の復刊
滅亡に瀕する人類、無個性と共感が支配するクローンたちの王国。
ヒューゴー/ローカス/ジュピター三賞受賞
ティプトリーといえば、初めて保守派のSFファンに、女性SF作家の実力を知らしめたことで知られるSF作家である。
もともと「女性にはSFは分からない」という固定観念は、日本SFにもあったそうだが、本場のアメリカではその差別がより顕著だったらしく、女性SF作家というだけで読んでもらえなかったそう。
そんな中でティプトリーは人気を博したわけだが、その理由は、ティプトリーは性別を公表していなかったからだ。
だからティプトリーが大好きだったおっさんファンたちも、ティプトリーが女性だと分かったときには腰を抜かして、女性SF作家への差別をやめたという逸話がある。
基本的にティプトリーは多彩で、SFらしくない小説もたくさん書いていたが、俺はファンというほどの好みではない。
しかし代表作の「たったひとつの冴えたやりかた」は、SFとか関係なしに面白かったし、好きだ。
- 作者:ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア
- 発売日: 1987/10/01
- メディア: 文庫
「愛はさだめ、さだめは死」は、人間が出てこないという驚異の作品で、高校生の頃の俺に新しい読書の境地を開いてくれた。
- 作者:ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア
- 発売日: 1987/08/01
- メディア: 文庫
そういう意味で、ティプトリーはSFとして好きというわけではないが、俺の読書観にかなりの影響を与えてくれたと思う。
ル=グィンは「SFの女王」と称された元祖女性SF作家だが、俺はまったく面白いと思ったことがない。
「闇の左手」「所有せざる人々」などで知られる大御所だが、俺はSFよりもファンタジー作家だと思っていて、ファンタジーが苦手なので好みではないのだ。
- 作者:アーシュラ・K・ル・グィン
- 発売日: 1978/09/01
- メディア: 文庫
- 作者:アーシュラ・K・ル・グィン
- 発売日: 1986/07/01
- メディア: 文庫
実際ファンタジーの著作も多く、ファンタジー好きに影響を与えた印象がある。
ル=グィンに影響を受けた人物として、その代表格が宮崎駿だ。
宮崎駿は最も好きな物語としてたびたび、ル=グィンの「ゲド戦記」をあげている。
実際に「ゲド戦記」は宮崎駿の息子によって、ジブリでアニメ映画化されたが、俺はあれも面白いとは思わなかったので、まああれが好きな人は楽しめるのではないかと思う。
とまあ少し話が逸れたが、つまり俺がいいたいのは、この2人と並び称されるということは、相当にすごい女性SF作家なのだろうと俺は予想したということ。
そして俺はかつて、女性SF作家で面白いと思った人はほとんどいなかった。
しかし俺は何事にも保守派にはなりたくないから、「女性の書くSFは面白くない」という俺の中の固定観念を、はやく壊したかったのだ。
その意味で、ウィルヘルムはすごかった。
面白いし、SFらしい果てしない物語で、なにより新しい。
少なくとも男性には書けないと、強く思わせられたが、今の女性SF作家でも、このような本を書けるとは思えない。
つまりウィルヘルムがすごいのだ。
本当に感動した。
久しぶりに読書に新しい価値観を植え付けられた。
こんなにすごいウィルヘルムがなぜ無視されているのかと疑問に思ったが、調べたところ、世界各国で彼女の著作がたくさん翻訳されているにも関わらず、日本ではこの本しか訳されていないのだ。
さらに、この作家のことを知っている人自体、日本の翻訳家にも少ないらしく、翻訳が進まなかったようなのだ。
本当に残念。
つぎに「翻訳してほしいのは誰」のアンケートがハヤカワで出たら、ウィルヘルムを挙げよう。
ちなみに発売日は4月30日らしいのだが、俺が28日に書店に行ったときに既に売っていて、買うことができたのはラッキーといえる。
2位、白の闇
- 作者:ジョゼ・サラマーゴ
- 発売日: 2020/03/05
- メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
突然の失明が巻き起こす未曾有の事態。「ミルク色の海」が感染し、善意と悪意の狭間で人間の価値が試される。ノーベル賞作家が「真に恐ろしい暴力的な状況」に挑み、世界を震撼させた傑作。
ノーベル文学賞受賞作家、サラマーゴの代表作。
まあノーベル賞受賞作家とはいっても、特にヨーロッパで人気が出て受賞した作家とかになると、日本で1冊も翻訳されていなかったりする。
例えば2017年に受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチとかは、受賞時点では日本に1冊も翻訳されておらず、今さらになって日本でコミカライズが進んでいる。
- 作者:小梅 けいと
- 発売日: 2020/01/27
- メディア: コミック
この漫画は俺の大好きな冨野由悠季(ガンダムの生みの親)が宣伝帯を書いていたので買ったのだが、衝撃を受けすぎて今では何回読み返したか分からない。
そういう意味で、サラマーゴも日本ではほとんど知られていないし、今さらになって新刊で翻訳物が出たので、興味本位で買ってみた。
あらかじめ言っておくが、俺は基本的にノーベル賞受賞作家をくだらない作家だと思っている。
これはレイモンド・チャンドラーのエッセイを読んだことがきっかけで、チャンドラーによるとノーベル文学賞とは、「審査員の好みが反映されただけの、読む気も起きない三流作家に与えられる内輪の文学賞」だそうなのだ。
俺の大嫌いな大江健三郎が、ノーベル文学賞の授賞式で「もし三島由紀夫や阿部公房が生きていたら、彼らがもらっていただろう。彼らが早くして死んでしまったから、わたしがもらっただけ」といったらしいが、今さらお前がいわなくなって、そんなことはみんな分かっている。
というか、ノーベル賞受賞に際して天皇が褒章をくれるというのに断った無礼者のくせに、ノーベル賞だけもらっておこうという方が傲慢である。
あいつのような戦後民主主義者は、自分が評価されたいの一心でノーベル賞をもらい、すぐに戦争を批判するゴミクズばかりだから無視しよう。
とまあこのように、自分の国の受賞者を見ても、ノーベル文学賞なんて大したことないのは分かる。
そうして読んだ割には、なかなか面白かった。
ただ後半が苦痛だった。
「はやく読み終わりたいよお」ってどれくらい心で叫んだか分からない。
版占率(1ページあたりの文字数)がものすごく高く、というか段落がほとんどなくて、文字が端から端まで埋まっていて、読むのがつらかった。
あとは単純に文学しすぎて、エンタメ性に欠けたから読むのが大変だった、という感じ。
ただノーベル賞をとるようなやつって、少なからず誰でも楽しめるような本が多いから、こういうブログではおすすめに載せやすいんだよね。
正直、この2番のポジションは盛りすぎかな、とも思うのだが、せっかく新刊で翻訳されたものなのですすめておこう、と思った次第である。
3位、七人のイヴ
- 作者:ニール スティーヴンスン
- 発売日: 2020/04/02
- メディア: Kindle版
内容(「BOOK」データベースより)
ある日突然月が七つに分裂した。その後の月のかけら同士の衝突によって、2年後には無数の隕石が地表に降りそそぐ〈ハード・レイン〉が起き人類は滅亡する。各国政府は、人類の遺伝情報のサンプルや文化遺産のデータを未来に残すため、国際宇宙ステーション(ISS)を核とした“箱舟計画(クラウド・アーク)”を立案した。計画遂行のため、宇宙で生き残る1500人を選抜するべく各国は苦渋の決断を迫られる。人類の未来を俯瞰する破滅パニックSF大作!
単行本が出たのが2018年6月ごろ。
書店で見かけたとき、まずスティーブンスンは「クリプトノミコン」がめちゃくちゃ面白かったことを思い出し、相変わらず面白そうなやつを書いてるなあというのが第一印象。
次いで気になったのが、宣伝帯。
もともと俺は、初めて見る作家の本を買うかどうか決めるのに、「あとがき」と「宣伝帯」を見て決める。
だから宣伝帯の効力は、俺の中では大きいのだが、その帯で宣伝文を寄せていたのが、ビル・ゲイツとバラク・オバマ氏であった。
特にオバマの「人類は簡単には死なない」の一文はよく覚えていて、ぜひとも読みたいと思わせられたのだが、文庫になるまで時間がかかった印象だ。
もともと単行本では全3巻が半年以上をかけて出版されたのが、文庫では上下が同時に出た。
久しぶりに元祖SFが読めてよかった。
あらすじを読んで面白そうだと思った人は、素直に楽しめると思う。
まあ「白い闇」よりは面白かったよ。間違いなく。
4位、少年トレチア
内容(「BOOK」データベースより)
都市のまどろみは怪物を育む。みんなが云う。悪いのはトレチア。殺したのはトレチア――謎の少年が囁く死の呪文「キジツダ」とは? 新興住宅地で次々おこる殺人事件。目撃された学帽と白い開襟シャツの少年は何者か。都市伝説を通して“恐るべき子供たち”の真実を捉え、未来を予見する異形のミステリ長篇!
なんか最近、津原の出現率が高い。
だから多くは語るまい。
面白かったよ。
5位、ツインスター・サイクロン・ランナウェイ
内容(「BOOK」データベースより)
人類が宇宙へ広がってから6000年。辺境の巨大ガス惑星では、都市型宇宙船に住む周回者(サークス)たちが、大気を泳ぐ昏魚(ベッシュ)を捕えて暮らしていた。男女の夫婦者が漁をすると定められた社会で振られてばかりだった漁師のテラは、謎の家出少女ダイオードと出逢い、異例の女性ペアで強力な礎柱船(ピラーボート)に乗り組む。体格も性格も正反対のふたりは、誰も予想しなかった漁獲をあげることに――。日本SF大賞『天冥の標』作者が贈る、新たな宇宙の物語!
伊藤計劃がSFに残したものは、思うに一番は百合を持ち込んだことなのではないか。
というか、この評価は最近のSF界で騒がれていて、明らかに「ハーモニー」以後で百合が増えたというのだ。
そんな中で、おそらく百合SFを正式に押し出して書いたのは、本書が初めてではないだろうか。
著者は日本SFの代表格、小川一水。
そもそも彼はなんでも書けるので、百合を書いてくれと頼まれたから書いた感がすごい。
実際、この本はとある短編を加筆して長編にしたもので、短編の時とはタイトルすら変わっていない。
その短編が収録されているのが、「アステリズムに花束を」という短編集。
アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー (ハヤカワ文庫JA)
- 発売日: 2019/06/20
- メディア: 文庫
この本、キャッチコピーは「世界初の百合SFアンソロジー」というもの。
あたりまえだ。世界には「百合」という言葉がないのだ。
いや、中国には日本の「百合」が逆輸入されている。
それを教えてくれたのが、このアンソロジーに参加した中国人作家、陸秋槎だった。
以下は陸氏のインタビューの言葉である。
中国では百合に「軽百合」と「真百合」という区別があります。前者は『ゆるゆり』のようなライトな話、後者は『やがて君になる』のような、はっきり恋愛関係を結ぶものがそう呼ばれています。この呼び方はネットでかなり浸透していますね。
この引用元を貼っておきます。
ちなみに、この人のインタビューはマジで面白いので、ぜひ読んでみることをおすすめします。
この下のやつとかも、よかったら。
話を戻そう。
つまり百合SF用に書かれたものだから、申し分なく百合なのだが、あんまりエロくなかったのが残念。
まあなんというか、これは百合の入門書でもあって、心が温まったのでよしとしよう。
SFはキャラクター性が薄いことで批判されがちだから、まだまだSFに百合とか萌えとかは慣れていないのだ。
今後を期待しよう。
これでエロかったら、順位が2位くらいまで急上昇していたと思う。
まとめ
今月はSF色強め。
家にこもっていたから、話は壮大じゃないと楽しめなかったのだ。
これで「ペスト」とかリアルなもの読んでも、だったらニュース見た方が面白くね、というのが俺の意見。
現実をつきつけられているときほど、非現実的なものを読みたい。
そういうのに、SFの想像力は向いているのかもしれない。
こんなときこそ嬉しいニュース
どうせ明日に1ヶ月のまとめを書くので、ものすごくちょっとしたことを書く。
コロナの影響で、もともとが在宅好きの人間にとってはパラダイスな状況と、日本、世界、あるいは人類全体の悲報が飛び交っている。
しかしそれで朗報ばかりが目につくのが、俺みたいな能なし楽観主義者なので、世間を真っ当に渡り歩いていては苦労をされている方々に、少々の視点を変えたニュースをまとめてみようと思う。
嬉しいニュース一覧
2,コロナ対応で支持率上昇<オーストラリア>
コロナ対策について、4月29日現在の支持率推移。
・上昇
オーストラリア、台湾、ロシア、フィンランド
・アホ
中国(支持率が存在しない独裁)、WHO(デトロスうんこ太郎率いる無能集団)、ビル・ゲイツ(中国大好き資本亡者太郎)
ちなみにWHOに関する嬉しいニュースは以下
ちなみにふたつめの記事は、反米反台湾の朝日新聞の記事なので、すべてを鵜呑みにはしないように。
3,無能の代表、桝添元都知事、叩かれる。<東京>
もはや「俺ならもっとうまく出来る」という負け惜しみにしか聞こえない。
安部を「習近平みたい」と罵るならまだしも、同じ時代の人を引用することすらできない臆病の腰抜けじじいは、1世紀近く前のヒトラーを引用する馬鹿馬鹿しさ。
ちなみにヒトラーの引用はあまりに的外れで、開いた口がふさがらなかったのは俺だけではなかったらしい。
4,国会がそれっぽく協力しているように演じる。<日本>
危機感のない首相、その何倍も上をゆく無能野党、さらにその上をゆく馬鹿さで「発達障害」と言われた、首相の足を引っ張るだけの馬鹿な首相夫人、こんなやつらによって運営されている我が国の政府。
野党がいつもどおり邪魔ばかりしていたところ、いつもは「また馬鹿なことやってんなあ」で済ませていた国民も、今回ばかりは大バッシング。
そのせいで最近は衝突を回避している野党がまた頭を下げた。いい気分だ。
ちなみに野党がいかに邪魔かを示した流れが下図。
首相「緊急事態宣言出すために法律変えようよ」
↓
国民党・枝野、蓮舫「緊急事態宣言は独裁につながる。断固として反対!」
↓
国会「与党野党、賛成多数で法律改正決定!」
(枝野・蓮舫を見て「国民党は馬鹿」と思っていた俺だったが、法改正には国民党からも賛成多数だったので、国民党は枝野と蓮舫が馬鹿なだけで、実際にはまともな人もいたことが判明)
↓
首相「大阪や東京など、七都道府県で緊急事態宣言」
↓
蓮舫「緊急事態宣言出すの遅い。全国で出せ」
(お前、自分が何を言ってたのか覚えてないのか)
↓
首相「緊急事態宣言を使って、国民に制限ありで30万円給付」
↓
国民党「30万じゃ少なすぎ。ヨーロッパでは各国民に賃金8割以上補償しているから、俺たちもそうしよう」
(ヨーロッパは消費税25パーセント以上の国ばかりで、日本よりも金持ち。日本で同じ事やろうとしたら、消費税を上げるしかないが、増税に反対しているのも国民党)
↓
自民党幹部「首相、30万は高すぎるので、制限ありで10万がいいと思います」
公明党「首相、創価学会(公明党支持団体)が文句を言ってきて、全国民に制限なしの10万にしろって圧をかけてくるので、どうにかそれでできませんかね」
↓
首相「公明党とは同じ与党でやっていきたいから仕方ない。全国民10万にしてやるか」
↓
立憲「30万に戻せー」
↓
首相(無視、緊急事態宣言は全国に拡大)←今ここ
本当にどうにかしてくれ、あの無能たち。
おまけ
先日、記事に書いた津原泰水の代表作が、今だけ無料になりました。
SFの短編でオールタイムベスト1位に輝いた伝説の短編。
後悔しないことは俺が保証するので、絶対にこの機を逃さないで読んでおきましょう。
ネタがないから「パンデミック」
いよいよネタがなくなってきた。
さすがブログのセンスがないだけあるなと自問自答。
しゃーねーから本屋と同じネタをやる。
つまり、今は外出自粛もあって、パンデミック小説が熱いという話。
元祖「パンデミック」
まずはパンデミックの元祖が何かって話。
これは俺の持論を入れるしかない。
だって分かるわけがないのだ。
そして俺が読んだことのあるパンデミックものの中で最古は、みなさんご存知、H・G・ウェルズ。
俺みたいに何かと歴史を語ろうとすると、文学では決まってウェルズが出てくるから面白くない。
そしてその作品というのは「盗まれた細菌」。
内容(「BOOK」データベースより)
細菌学者の研究室からコレラ菌を盗み出した無政府主義者は、テロを企むか…(『盗まれた細菌』)。操縦経験がないのに、最新の飛行機で無謀にも空へ飛び立った青年が村に大騒動を巻き起こす(『初めての飛行機』)。SFだけではない、ウェルズの新たな魅力を発見できる愉快な11篇。
とはいえきっと、異論がある人も多いだろう。
例えばボッカッチョの「デカメロン」。
これもパンデミックの範疇に入る作品であることは認めるし、病気的な内容が含まれている作品ではダントツで最古だろうが、俺の中での「パンデミック」のジャンル性にそぐわないのだ。
俺の中でのパンデミックをがんばって説明してみると(あまり深く考えたことがなかったので、いざ書いてみると難しい)、感染症におけるドキュメンタリー的実況性と緊迫性を描く作品、といったものだろうか。
よし、「デカメロン」が含まれないような定義はできただろう。
まあそういうわけで、好きな人は自分なりの定義を考えてみてほしい。
今さら言うのもなんだけれど、俺はドキュメンタリー的展開は嫌いじゃないが、それは感染症でなくてもよく、むしろそれ以外の方が好きなので、「パンデミック」にこれといった思い入れはない。
有名パンデミック作品リスト
1、ペスト
- 作者:カミュ
- 発売日: 1969/10/30
- メディア: ペーパーバック
内容(「BOOK」データベースより)
アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。
これを読まなきゃ始まらん。
元祖「文学」パンデミック。
もはやありきたりになったパンデミック小説では、「予言していた!」とかいうフレーズが売り文句らしいが、この作品以上にリアルなものを知らないので、最近の小説は陳腐に見える。
断言する。
「予言性」という点において、これに敵うパンデミック小説は今後生まれない。
それは作家ならみんな気づいてるんじゃないかな。
だからみんな予言をしようとはしていなくて、結果として「文学」ではなく「想像性(SF性)」を追求するんだろう。
ウイルスの設定の濃厚さとか、人がたくさん死ぬというスケールの大きさとかね。
だから素直にそう書けばいいのに、「予言」というフレーズをわざわざ使うから、本を買った読者は「そうかなあ」と期待を裏切られた気分になる。
まあそうしないと買ってすらくれないんだろうから仕方ないが。
2、復活の日
- 作者:小松 左京
- 発売日: 2018/08/24
- メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
吹雪のアルプス山中で遭難機が発見された。傍には引き裂かれたジュラルミン製トランクの破片。中には、感染後70時間以内に生体の70%に急性心筋梗塞を引き起こし、残りも全身マヒで死に至らしめるMM菌があった。春になり雪が解け始めると、ヨーロッパを走行中の俳優が心臓麻痺で突然死するなど、各地で奇妙な死亡事故が報告され始める―。人類滅亡の日を目前に、残された人間が選択する道とは。著者渾身のSF長編。
パンデミックSFの金字塔。
2年前に新装版が、それも3つも同時に出て、どれを買おうか悩んだ挙句、全部買ったSFファンも少なくないだろう(要するに俺のこと)。
想像性ではこれが最上位。
さすがはSF御三家、小松左京。
この作品は「文学性」も高い。
読めばわかるが、パンデミック下の人間の心情描写は極めて巧み。
低いのは「ドキュメンタリー性」だ。
なんせ開始時点で、南極以外の人類がすべてウイルスで全滅してしまっているのだ。
ウイルスがどのように広まるのか、それで社会がどうなっていくのかという緊迫性は一切ない。
俺はそっちの方が好きだけど。
3、天冥の標Ⅱ 救世群
内容(「BOOK」データベースより)
西暦201X年、謎の疫病発生との報に、国立感染症研究所の児玉圭伍と矢来華奈子は、ミクロネシアの島国パラオへと向かう。そこで二人が目にしたのは、肌が赤く爛れ、目の周りに黒斑をもつリゾート客たちの無残な姿だった。圭伍らの懸命な治療にもかかわらず次々に息絶えていく罹患者たち。感染源も不明なまま、事態は世界的なパンデミックへと拡大、人類の運命を大きく変えていく―すべての発端を描くシリーズ第2巻。
約10年、全17巻の刊行を経て、2019年に日本SF大賞を受賞した、2010年代を代表する大型SFシリーズ。
実際に過去の全SF小説の中で、40年以上続いているグインサーガに次いで、これが2番目に長いとのこと。
グインサーガはいまだに続いているが、作者の栗本薫が死んで、ほかの作家が終わらせられずに書き継いでいるのだから、単独のSF作家のシリーズでは「天冥の標」が最長ということになる。
この小説の特徴は、驚くほどのスケール。
舞台となる時代設定は以下。
Ⅰ 西暦2803年
Ⅱ 西暦2015年(本作)
Ⅲ 西暦2310年
Ⅳ 西暦2313年
Ⅴ 西暦2349年
Ⅵ 西暦2500年
といった感じ。
想像力がとち狂うが、この本のいいところは、小説がそれぞれ独立しているところ。
全部がそうとは言わないけれど、とにかくこの「天冥の標Ⅱ」は単体でも楽しめる。
というか、時間軸的には一番最初だから、シリーズ上の予備知識なんていらない。
「エンタメ性」「スケール」ではこれが頂点。
文章も一番読みやすかった気が。
4、首都感染
内容(「BOOK」データベースより)
二〇××年、中国でサッカー・ワールドカップが開催された。しかし、スタジアムから遠く離れた雲南省で致死率六〇%の強毒性インフルエンザが出現! 中国当局の封じ込めも破綻し、恐怖のウイルスがついに日本へと向かった。検疫が破られ都内にも患者が発生。生き残りを賭け、空前絶後の“東京封鎖”作戦が始まった。
読んだことないけどね。
「ペスト」に次いで売れているらしいので。
あらすじを読む限りでは、一番コロナの現状に近いストーリーではある。
しかしね、書いておいてなんだけど、面白くなさそう。
俺は読まない。
売れてるよ! という近況報告。
まとめ
俺がペストを初めて読んだのは高校一年のころ。
さしたる理由もなかったけれど、たしかそのときの保健体育の授業で、クラスメイトがひとりずつ、自分に割り当てられたテーマについてプレゼンをするという授業があった。
そこで俺に与えられたテーマが「感染症」だったのだが、それでプレゼンのために調べているうちに、ペストの事を知り、その数ヶ月後くらいに本屋で「ペスト」というタイトルの本を目にして買ったわけだ。
だからペストについては少しばかり知識があって、例えばワクチンの名前が「ペニシリン」であることや、魔女狩りが行われた経緯などである。
しかし俺はもう「ペストなら読んだことあるぜ、ぐはは」と自慢もできなくなったのだろう。
それもこれも、コロナによる恩恵ととれなくもない。
100万部も売れたら、十分に「国民的古典」だ。
コロナには迷惑をかけられてばかりではなく、ぜひ恩恵ももらいたいと思う今日この頃。
新刊ががんばってる
4月16日。
津原泰水の新刊の発売日だった。
新曲のCDは決まって水曜日に出るが、小説にそんな縛りはないから、今日のような木曜日に出てもいい。
まあ小説という媒体の自由さは、そんなところにも表れているわけである。
しかし緊急事態宣言の中で新作を出すことの心境は、クリエイター職ではない俺には推し量りかねるが、休業要請は古本屋には出ても本屋には出ていないようだから、まだ休まる方なんだろう。
いかんせん、津原が好きだ。
俺は「ヒッキーヒッキー・シェイク」のサイン本を持っている。
これを含めて、津原は最近、復刊が著しい。
12月に「妖都」。
- 作者:津原 泰水
- 発売日: 2019/11/20
- メディア: 文庫
1月に出たものには直接的なタイトルをつけていて、レジに持っていくのが恥ずかしかったのを覚えている。
- 作者:泰水, 津原
- 発売日: 2020/01/23
- メディア: 新書
しかしこいつは天才だね。
本人は幻想小説を書いているつもりらしいんだが、ミステリーもかけるからすごい。
俺はミステリーを書く作家(とりわけ本格ミステリの審査員とかやってる奴)は、乏しい発想力と下品でちまちました整合性を求めている「ミステリー脳」になってしまっていると思っているから、まあ器量が小さいというか、男らしくないと思っているのだけれど、こいつのミステリーは確かに面白い。
今回の新作はミステリーだったから、そう思った。
またハヤカワ文庫から出していて、ハヤカワの編集者だけは心から信頼しているから、俺は興味を持ったわけだけれど、これからもハヤカワから出すのだろうか。
しかし様々な出版社から出している津原が、ハヤカワから出し続けるようになったきっかけは、たしか一昨年の百田尚樹が日本国記を出した時のことだったっけか。
幻冬舎から「ヒッキーヒッキー~」の文庫化が決まっていた津原が、同じ幻冬舎から出ている日本国記の内容を「Wikipedia」の盗作とか言って批判したんだった。
津原曰く、「内容も趣旨も批判していないが、盗作したことに問題がある」とのこと。
さらにいえば、「ここで謝罪しておけば、百田氏、幻冬舎のためにもなる」。
なるへそ、それは納得だ。
しかし百田本人は認めていないのでなんとも。
でもそれで、津原の「ヒッキーヒッキー~」の文庫化が中止となれば、津原も怒って当然。
正月あけ、担当を通じ、『日本国紀』販売のモチベーションを下げている者の著作に営業部は協力できない、と通達されました。「どうしろと?」という問いに返答を得られることなく、その日のうちに出さない判断をしたとのメール。それ以前の忠告警告はありません。それどころか話に頷いてたくせに。
— 津原泰水=やすみ (@tsuharayasumi) 2019年5月14日
うちから出ているものを批判する奴の文庫化を、協力なんてできない、とはねつけられたと。
カバー画もほとんどできていたらしいからひどい。
このことが世間に知れ渡ると、幻冬舎いわく「「ヒッキーヒッキー~」の単行本が売れなかったから」と言って、文庫化を中止にした理由を急に変えてきたとのこと。
それで本当なのかと追及されれば、幻冬舎は実売部数が「1800部」だったことを公表。
普通、実売部数なんて作家本人にも知らされない。
現実を知って、作家が傷つくのを防ぐためだ。
しかしこれはひどい。
ましてや2000に乗っていないなんて、新人のデビュー作でももうちょっと売れるんじゃないかと思うくらい。
それ以来、津原は自分を「日本で最も売れない小説家」と自虐してしまった。
多数の作家から、幻冬舎には大バッシング。
「やりすぎ」って、そりゃあ当然だろう。
実売部数を公表なんて、どうしてこんな明らかにタブーなことをするんだろう。
幻冬舎って私企業だから、なんでもありなんだろうか。
もうつぶれちまえよあそこ。
幻冬舎と契約していた作家から、いままでの不満があふれかえっていたぞ。
印税が10パーという契約だったのが、実際は8パーしかもらえなかったとか。
出版社の手違いで発売日が一週間も遅れたのに、謝罪も迷惑料も出ないとか。
もうつぶれちまえよ、あそこ。
まあそれで、ハヤカワから出たことはよしとしよう。
ハヤカワには俺みたいな根強いファンが多いから、つまりハヤカワを前面に信頼している人は、ハヤカワから出たものは何でも買う(俺はそこまでのファンではない)。
そういう人たちに津原を知らしめたことは大いに喜ばしいことだし、なにより津原の才能が本物であることは読者ならだれもが知っている。
ちなみに津原の代表作は下の2作。
- 作者:泰水, 津原
- 発売日: 2014/04/08
- メディア: 文庫
でもこれから出るのも、俺は楽しみにしている。
売れなくてもなんとか続けてくれ、津原。
<作品紹介>心配せずとも、いつの時代も美術家はいる「乙嫁語り」
媒体の魅力についてはよく話しているように思う。
媒体の特性とクリエイターの作風は直結しているから。
たとえば小説なら、これは限りなく自由な媒体だけれど、いわゆる文学に忠実なものと、逆にあえて逆らうもの、どちらが好みか。
「どちらも好き」は無しだとすると、いやそうでなくとも、俺はかなりの後者派。
つまりはルールを破ってくるものとかが好き。
例えば、カタカナ文体と体言止めを取り入れて衝撃を与えた翻訳家、黒丸尚。
はたまた単語だけで小説を書き続ける作家、ジュディス・メリル。
最近の作家では、野崎まどとかは間違いなく天才だと思う。
テキストを巧みに扱うんだもの。
しかしこの上のやつは、文学なんかろくに読まない若者からも馬鹿にされたようだ。
どうしてこんなことになるのか。
ひとつ思うのは、俺は本を読みすぎて、普通の代物には飽き飽きしてしまっているのではないか。
そう思うのは、俺は小説以外では、例えば映画や漫画や音楽では、普通の保守的なものを好むからだ。
いかんせん漫画に関しては、結構読んでいるはずなのに、いまだに保守的で、絵がうまくないと許さない、という頑固老年おやじ的なところがある。
進撃の巨人とかハイキューとか魔法使いの嫁とか、アニメは好きでも、絵が下手な奴は本当にダメ。
要するに、俺にはセンスがないのだろう。
感性が疎いというか、絵もうまいわけではないし、そもそも絵が含有する刺激が、俺には強すぎるのだ。
だから俺の漫画選評は万年初心者なんだろうが、そんな俺でも漫画を読みたいと思うことくらいはあって、久しく漫画コーナーを徘徊していたら、試し読みで衝撃を受けてしまった作品があった。
その場で一気に大人買いした。
この興奮をぶつけたいというか、まあ俺もたまには漫画を語りたい。
そういう場が、このブログなのではないかと思うんである。
作品概要
タイトル 乙嫁語り
作者 森薫
出版社 制作:エンターブレイン
発行:株式会社KADOKAWA
掲載誌 Fellows! → ハルタ
レーベル ビームコミックス
→ ハルタコミックス
発表期間 volume1(2008年10月14日)
- 連載中
巻数 既刊12巻
まあ立ち読みで惹かれる理由なんて、9割方は絵じゃないですかね。
それ以外にもいろいろとあるが、特にジャンルというか、時代漫画なのが好きかな。
こういう知らない文化や価値観に出会うというのは、媒体に関係なく求めているものであるから、その点これは魅力的だったと言える。
あらすじによると、舞台は19世紀後半の中央アジア、カスピ海周辺地域。
いわゆる遊牧民族だと思うのだが、まだ3巻までしか読めていないのでなんとも。
画力の問題
画力についてだが、漫画でここまできれいなのはそうそうないだろう。
試し読みで感動したのは下の絵。
見たとおり、めっちゃ細かいなあという感じ。
この人の手にかかれば、おばあちゃんだってこの通り。
めっちゃ生き生きしてるし、見ているこっちまで元気になりそう。
コロナで塞ぎ込んだ心をいやしてくれるとはこういうこと。
近代漫画では定番の照れシーンも。
初見では絵に感動しすぎて、話が全然入ってこない。
大消費社会でも、負けじと絵を追求する漫画家もいるのだと、本当に安心した。
漫画は絵でしょう。面白い話は漫画原作者に考えてもらおうよ。
ストーリーも絵もできるひとなんて、俺は岸本斉史しか知らないし。
「乙嫁」とは
お店のポップに書いてあったのだが、「乙嫁」の本来の意味は、「弟の嫁」「年少の嫁」を意味する古語とのこと。
しかしこの作品の中では、断じて本来の意味ではないらしい。
調べたところ、出版元が次のように書いていたからだ。
“乙嫁”というのは「美しいお嫁さん」という意味。その言葉どおりとっても美しいアミルなのですが、彼女の魅力はそれだけではありません。馬を軽々と乗りこなし、弓を操り、裁縫も料理も得意という、100点満点の娘さんなのです。(「エンターブレイン公式サイト」より引用)
詳しくは下のリンクで直接見てください。
そして上の説明文に登場したアミルというのが、本作の主人公。
アミルは北方の遊牧民のハルガル家の娘で、中央アジアに定住するエイホン家に嫁いでくるのだが、なんとエイホン家の花婿が、アミルの8歳も年下なのだ。
年齢で言えば、アミルが20歳、花婿のカルルクが12歳。
この年の差はすごいものがあるでしょう、と思うのだが、ふたりともちゃんと夫婦やってるから微笑ましい。
とはいえ新郎新婦だし、結婚もこれからだし、要するにそれを見守ろうという、ある種の恋愛漫画でもあるのだが、もしそれだけなら、少女漫画を最も苦手としている俺が楽しめるわけがない。
この結婚はそう簡単ではないのだ。
というのも、実際にこの時期の世界情勢を考えてみよう。
この時期のユーラシアは、ソ連の南下政策によって民族弾圧が始まっていた時期。
ファンタジーでも歴史改編でもないこの漫画でも、それは忠実に起こっている。
アミルのハルガル家が、ソ連に押しやられて危なくなるという展開があるのだ。
アミルの叔父は、アミルを他の遊牧民に嫁がせて協力関係を築こうと、カルルクの元からアミルを連れ戻そうとする。
邪魔が入るわけですな。
それもひどく悩ましい理由で。
だって断れないじゃない。そんなこと言われたら。
少女漫画と違って、理性的、戦略的に悩んでしまうところが好き。
ガンダムも似たようなものだけどね。
ネタバレしすぎると面白くないので、あらすじはこの辺で。
<レビュー>富豪というわりに常識的な筒井
富豪刑事の1話を見る。
原作を読んでいるせいか、テレビにかじりつくほどの期待はしておらず、気がつけば放映から2日が経過していて、録画を見た情けなさ。
なんせノイタミナであったことすら知らなかったのだ。
まあ見ただけよしとしよう。
原作との比較
原作は1978年と、思えば40年以上前。
自分の初読が8年前で、いやはや20年しか生きていない自分には遠い過去なのだが、40年の長さがまったく想像できなくなる。
そのせいか、アニメの東京は昭和が漂う風景で、原作の存在感を押し出している。
それでも現代のアニメファンの好みに合わせて、キャラクターは容姿、口調、服装と平成後期風になっている。
このアンバランスな手法は、SF的な未来趣向を思わせる作品によくあるやり方で、例えば攻殻機動隊なんかでは、技術がとんでもなく飛躍している設定に対し、90年代の街並みや生活感をそのまんま扱うことで、読者がすんなりと作品に入り込むことができるようになっている。
そういうのを容認するところが筒井康隆らしいけれど、そもそも「富豪刑事」は1985年に漫画化、2005年にドラマ化もしているから、今さら脚色なんてどうでもいいのだろう。
「時かけ」を細田守がアニメ映画化したとき同様、時代に合わせて変えてくれて構わないと考えているあたり、星新一とはまったく異なるタイプの、時代に左右されない文学性を感じる。
台詞なんかも原作とは全然違うし、キャラクターはCV宮野真守のイケメンで筒井康隆らしくない。
それでもオープニングで「原作 筒井康隆」のクレジットを見ると、巣に帰ってきたような安心感を覚える。
そして最も筒井康隆らしさを感じたのは、大助がスーパーカーを奪って追いかけるシーン。
路上で「危ないだろっ」と怒鳴っている老人、どれだけの視聴者が気づいたかは分からないが、明らかに筒井本人である。
見た目も声も、ファンなら誰だって一瞬で気づくし、そもそも筒井ファンは、筒井の作品のメディアミックス化したものを見るとき、筒井康隆が出演していないかと目を光らせているもの。
久しぶりにメディアミックスした作品で、昔ながらのカメオ康隆を見れて、興奮を抑えられない。
エンディングのキャストクレジットに、名だたる声優と並んで「筒井康隆」の文字には笑った。
やっぱり好きだなあ。
1話の評価
アニメの幕開けとしては、ひねくれた小説が原作のわりに、かなりうまくまとめている印象を受ける。
とがりすぎず、むしろ定番ではあって、しかし作品の魅力は出した、と。
具体的に言えば、ストーリーには何の特徴も見受けられなかったが、設定と演出、とくにキャラデザとキャスティングが売りのようである。
まあ要するに、女性受けを狙っているわけだ。
しかししまりがいいことの要因として大きいのは、やはり脚色を大幅に変えて、ストーリーを借りただけの全く別の作品に仕上げているからだろう。
これが原作本来の役割であって、例えば原作に忠実でなかったり、変更を認めるにしても自分が満足しないと許さないというような、強情で思い上がりの激しい原作者だったら、こうはいかない。
俺の持論を言えば、
漫画原作→原作の迫力をいかに再現するか
小説原作→練られたストーリーを借りて、監督が持つキャラクター性をどうやって生かすか
が問われているのだと思う。
この違いはメディアで重要視されているものが何か、ということによる。
つまり、アニメと漫画は、ストーリーよりも演出が大事だということ。
その点、映画では音が一番大事、ドラマは演技が一番大事とも聞く。
小説は最も自由な媒体で、何を優先してもいいから困る。
だからアニメ化向き、ドラマ化向き、漫画化向き、とあるのだろう。
原作との変更をすべて容認するのが売れるというのは、東野圭吾がよく示してくれているから、今さら言うまでもないはずなのだが、先ほど言った偉そうな原作者は、今になってもなぜ生まれるのかが分からない。
そういうやつは世間から無視されるから、気にしないでおこう。
そのような原作者以外にももうひとつ、アニメ化がくだらないものになってしまう小説原作としては、最近のラノベ原作者に多いのだが、アニメが大好きな作者が、アニメを意識して作品を書いてしまって、そもそもの原作がアニメっぽいというものがある。
これもまた全然面白くなくて、なぜならアニメ監督の、その人が持つ個性が発揮しづらくなるからだ。
原作がアニメからかけはなれたところから、どうやってアニメにもってくるかが監督の問われる技術であって、その方がカット割りもアングルもキャラクターも、自由がよく効くわけだ。
根っからの文学者、小説家の作品を、才能のあるアニメ監督がアニメーションにする。
やっぱりこれが1番面白いね。
<レビュー>体調不良を乗り越える糧の愛情
ここ数日、40度の高熱にさいなまれた。
昨日は緊急事態宣言も発令され、咳が出る、あるいは高熱なんかですぐに白い目で見られる時期であるから、俺自身も少しばかりはひやひやしたものの、コロナではないという自信はあった。
コロナの影響でバイトもなくなり、完全な引きこもりになった俺が、コロナになどかかるわけがないのだ。
案の定、コロナではなかったが、布団に突っ伏した数日間の手持無沙汰を、アマプラで乗り切ろうとした。
そこでかねてから見てみたいと思っていた映画を引き出した。
日本にも莫大な影響を与えた作品、「ロリータ」である。
ロリータ・コンプレックスなどの言葉で知られるこの単語は、本来はひとりの少女のあだ名である。
その少女こそ、この作品のヒロインのドローレス・ヘイズであり、このタイトルのロリータにちなんだものだ。
レビューを書く前に、この作品の大きすぎる意義を理解するには事前情報がたくさん必要なので、周辺情報もこめて手順に説明することにする。
作品概要
「ロリータ」という単語は、日本では「幼女」といった意味で用いられることが多いが、実際は幼女というより少女に近い。
しかしロリコンが、幼女や少女を好む成人男性を指すことは的を射ている。
つまりロリータは少女を愛した成人男性の恋愛小説なのだ。
以下に書くあらすじは、この原作である、小説「ロリータ」についてを書く。
あらすじ
少女性愛者ハンバート・ハンバートと、少女のドローレス・ヘイズとの恋愛を描いた物語。
小説自体はハンバートの手記の形式で書かれ、すべては述懐された過去という設定。
ハンバートは学生時代に年の近い女の子に恋をするが、その子は病気で若くして死んでしまう。
以来ハンバートは、その子よりも愛らしい人間に出会うことができず、ろくに恋愛経験を持たないまま40近い年齢になる。
そんなときに出会った12歳の少女、ドローレス・ヘイズに一目ぼれしたハンバートは、彼女に近づこうと、彼女の母親である未亡人のシャーロット・ヘイズと結婚する。
その後シャーロットが不慮の事故で死亡。ハンバートはロリータを独り占めできると考え、シャーロットが死んだことをロリータには教えず、「これから行くところで待っている」と説明して国中を連れまわす。
しかし途中で母親の死がばれてしまい、関係が悪化。さらにはハンバートとの恋心に気付くも断固拒否し、最終的には行方をくらましてしまう。
以下は実際に読んでください。
個人的にはここからがとても面白いので。
そしてこのロリータを有名にした作品は大きく分けて3つあるので、それを順番に書きます。
1、小説「ロリータ」
1955年に発表され、初版はパリで出版。
作者はロシア生まれのアメリカ人作家、ウラジーミル・ナボコフ。
この時点ですでに、戦争動乱もあってかいろいろと複雑なのだが、ベストセラーとなったのは3年後に出版されたアメリカ。
いわゆる「ロリータ」の原作であり、アメリカの古典文学として知られる。
衝撃的な内容のほかに、言葉遊びを入れ込んだ文体が注目されたそうだが、原文を読んでいない自分にはさっぱり。
2、映画「ロリータ」(1)
1962年に公開。
監督はかの有名なスタンリー・キューブリック。
自分はこれで知ったし、これから見た。
しかし内容は、原作に全然従っていない。
だから自分はこれを見終わった後、原作を読み、その内容の違いには驚いたが、どっちも面白かった。
3、映画「ロリータ」(2)
1997年公開。
監督は「危険な情事」で知られる、エイドリアン・ライン。
これが今回見たやつ。
ストーリーはわずかな脚色こそあれ、かなり忠実。
詳しくはレビューに書きます。
レビュー
まずロリータ役の子、ドミニク・スウェインが17歳ってことに驚き。
正直、ロリータの12歳から16歳までの成長が、見た目ではまったく見られないのは仕方ないが(映画を4年かけて撮っているわけではないので)、それでも気にはなってしまう。
それに外国人って年齢が高めに見えるから、ロリコンとしての楽しみはなかった。
で、ベッドシーンが生々しいんだよな。
小説のベッドシーンは結構好きだが、それは想像による楽しみであって、自分で営みを想像するから楽しいのだ。
想像することが好きな人は、つまりは読書家は、詳しい説明がある小説を好まない。
「Aは右手を突き出し、Bの頬にこぶしをけしかけ、Bは打撃的な走馬灯のさなか、うつろな表情で倒れた」
とか言われてもなえるだけ。普通に、
「AはBに強力な殴打を決めて、Bを崩し伏した」
ってだけでいいだろと、つまりそういうこと。
ゆえに俺は映像を好みません。
情報量が多すぎるので。
過激なものはなおさら。
ロリータとハンバートが無駄にエロく思える。
なのにうろたえてる分、AVよりも見てられない。
あ、俺はAVは苦手です。
エッチする前に歯の矯正を取るところとか、あれだけでなんでエロイんだろうね。
やっぱ小説ばっか読んでると、ああいうのだけでも参っちゃうのかね。
なんせ女優の表情ですよ。あんな顔されちゃ、勃起の1つや2つ、簡単に起こるんじゃないの。
ちなみに俺は、ロリータではたちませんでした。熱のおかげだろうけど。
評価
シナリオ | |
---|---|
構成 | |
文章 | |
キャラクター | |
世界観 | |
総合評価 | |
おすすめ度 | |
普通に面白かった。のめりこんだ。
エンタメじゃない、なんなら文学ですらある本作が映画でも面白いなんて、この作品はどれだけのポテンシャルを秘めているんだろうとぞっとする。
やっぱキャラのぶっとび感が好き。
これは日本人がよく楽しめるタイプ。
あとはストーリーも純粋に面白い。
この映画のストーリーは小説に忠実だから、小説でも面白いということになるけど、こっちの方がわくわくして見れた気が。
小説読んだのは3年も前だから、あんまりあてにはならない。
しかし原作を読み返したくなる。
- 作者:ウラジーミル ナボコフ
- 発売日: 2006/10/30
- メディア: 文庫
原文で読めたらもっと楽しいんだろうなとつくづく思う。
久しぶりの映画レビューでした。